厚生労働省が映画『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』とのタイアップを発表し、インターネット上で批判が殺到している。「悪趣味すぎる」といった声が上がり、行政の広報のあり方をめぐる議論に発展している。
法務省の「ラヴ上等」タイアップも中止に
同様の炎上は、法務省がNetflixの恋愛リアリティ番組『ラヴ上等』シーズン2とタイアップし、「更生上等!!」などと書かれたポスターを作成した事件にも見られる。出演者の一人が「人に火をつけたことがある」と語ったシーンが拡散され、加害性に対する無神経さが露呈した。法務省のタイアップも中止となっている。
「国家の責任放棄」との指摘
評論家の真鍋厚氏は、厚労省と法務省の両タイアップ騒動について、「国家が担うべき重い人権・福祉の責任を、エンタメの文脈にタダ乗りして消費・軽量化させる」という同じ構造的欠陥を抱えていると指摘する。厚労省が扱う「命・闘病・経済的支援」も、法務省が扱う「再生・更生・人権」も、本来は国家が最も厳正かつ誠実に向き合うべき領域だという。
行政のPR側の「キャッチーに見せたい」「ウケたい」という軽はずみなノリが、結果として現場の当事者を置き去りにし、その尊厳を傷付けたとしている。どちらも「制度や法規範の丁寧な周知・説明」という本来のコストをかけず、サブカルチャーやポピュラーカルチャーの持つ「感情的なパワー」を利用して人々の意識を誘導しようと試み、自爆した形だ。
「権利の縮小」という暗部に目を向けるべき
実質的な給付を抑制する「痛みの押しつけ」を進めながら、表舞台では「命に寄り添う温かい行政」を演出する非対称性が、多くの人々に強烈な違和感と不信感を抱かせた最大の要因かもしれないと論じている。本来なら国民が等しく享受できるはずの「権利としての福祉」が、行政の「慈悲深さのブランド戦略」へと姿を変えてしまう恐れがあると警鐘を鳴らす。
現場で疲弊する医療従事者や、毎月の薬代に頭を痛める患者の切実な悲鳴が、あらかじめパッケージ化された「美しき感動」の大合唱によって掻き消されかねないことが明白になったと指摘。表層に目を奪われるのではなく、その裏にある「権利の縮小」「旧弊の温存」といった暗部にこそ焦点を合わせる必要があるとしている。



