秀吉の中国大返しを可能にした影のMVP武将、蜂須賀正勝の功績
秀吉の中国大返しを可能にした影のMVP武将

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第28回「急げ!秀吉」(7月19日放送)では、備中高松城を攻めていた羽柴秀吉が本能寺の変の報を受け、即座に京都へ向かう「中国大返し」が描かれる。歴史評論家の香原斗志氏は、この迅速な行動を可能にしたのは、普段あまり注目されない武将・蜂須賀正勝(蜂須賀小六)の功績だと指摘する。

中国大返しのタイミングの良さ

天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が本能寺で織田信長を討つ。その時、秀吉は岡山の備中高松城を水攻めで包囲中だった。梅雨で城は湖上に浮いたようになり、勝利は確実だったが、信長の訃報が届く。秀吉はすぐに毛利方と和議を結び、城主・清水宗治を切腹させて城を落とし、全軍に「走り続けよ」と命じて京都へ向かった。あまりにタイミング良く和議が成立した背景には、秘密裏の事前交渉があった。

蜂須賀正勝:影の立役者

香原氏によれば、蜂須賀正勝は秀吉の家臣として、毛利方との和平交渉を水面下で進めていた。本能寺の変が起きる前から、いつでも和議を結べる段階まで交渉を整えていたという。また、備中高松城の水攻め作戦自体も、正勝が考案したものとされる。湿地帯を利用した堤防築造と川の水の引き込みは、正勝の知恵によるものだ。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

正勝は阿波国(徳島県)の土豪出身で、後に秀吉の天下取りに貢献。明治維新まで阿波を統治した蜂須賀家の祖となった。肖像画(東京大学史料編纂所データベースより)にも示されるように、彼は決して派手な武将ではないが、その実務能力は秀吉の成功に不可欠だった。

もし正勝がいなければ

もし正勝の事前交渉がなければ、秀吉は和議に時間を要し、柴田勝家に先を越されて京都への先陣を争えなかった可能性がある。香原氏は「正勝こそ、秀吉の天下獲りにおける影のMVP武将」と評する。ドラマではチョイ役に過ぎないが、歴史の裏側で重要な役割を果たした人物である。

このように、中国大返しの成功は、秀吉の決断力だけでなく、蜂須賀正勝のような縁の下の力持ちの存在があってこそ実現したのである。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ