ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟で全国原告団協議会会長を務めた竪山勲さんが、当時の厚生労働相だった坂口力氏の死去を受け、控訴断念に政治生命をかけた「同志」を悼んだ。勝訴から四半世紀が経過した今年8月、坂口氏は92歳で亡くなった。
勝訴判決、法廷で確信
2001年5月11日、熊本地裁101号法廷。竪山さんは原告席で判決を待つ間、弁護団から事前にレクチャーされた「勝訴パターン」の文言を何度も反すうした。判決が言い渡され、「主文 被告国は、原告に金員を支払え」と読み進められるうちに傍聴席がざわつき始め、「勝った」と確信した。
閉廷後、判決文を読むと、らい予防法の違憲性を明快に断じ、隔離規定を改廃しなかった「国会議員の立法上の不作為」も指摘していた。行間に「国は控訴するな」と書いてあるように読め、初めて司法の正義を見た思いがした。
控訴断念への働きかけ
判決確定まで安心はできず、弁護団とともに上京し、議員会館で一人一人の事務所を訪ねる「国会ローラー」で政府に控訴断念を働きかけるよう要望した。超党派の国会議員でつくるハンセン病問題の懇談会の総会では、「なぜ自分が加害者側のあなた方に頭を下げてお願いしなければいけないのか」と本音をぶつけた。
控訴期限2日前の5月23日、当時の小泉純一郎首相と原告団の面談が実現。訴えを真剣に聴き、原告と握手を交わす首相の姿に手応えを感じた。
「父ちゃん、母ちゃん。やったよ」
面談の報告会場に向かう車中、報道関係者から「総理が控訴断念を決めた」との一報を受けた。会場到着後、テレビで「控訴断念」のテロップが流れると、集まった原告や弁護士から地響きのような歓声と拍手が湧き上がり、涙を流して喜ぶ仲間の姿に目頭が熱くなった。
他界した両親の顔が浮かび、持ち歩いていた父の遺影を握りしめ、「父ちゃん、母ちゃん。やったよ」と心の中で報告した。
政治生命かけた「同志」を悼む
竪山さんは、坂口氏が大臣を辞する覚悟で小泉氏に控訴断念を働きかけたと伝え聞いていたといい、「原告は命をかけて裁判を闘ったが、坂口先生は政治生命をかけて控訴をさせなかった」と立場を超えて闘った「同志」を悼んだ。