すし・和食チェーン「GANKO」(旧がんこフードサービス)を創業した小嶋淳司(あつし)さんが亡くなった。91歳だった。後日、お別れの会を開く予定。
自らの顔を広告塔にした創業者
小嶋さんは、自らの頑固そうな顔を広告塔にしていたことで知られる。大学を出て飲食店に将来性を見いだし、関西を中心に東京や海外に計82店(8月25日時点)を展開する外食チェーンに育てた。
たたき上げの経営者ならではの商いを通じて得た知識を、財界活動にも生かした。
和歌山県出身、現場主義で店を拡大
和歌山県南部の上富田町生まれ。高校生のころから実家の雑貨屋を切り盛りした経験から、商いを志す。すし店はもっと入りやすくすれば、大きく広げられるとみて、同志社大学経済学部を卒業後、すし店で1年修業し、1963年に大阪の繁華街・十三に小さな店を出した。
徹底した「現場主義」で、ほかの飲食店の客の入りやもうかり具合をつぶさに見て、店のつくり方や値づけ、従業員の育て方に工夫をこらし、店を増やしていった。
かつてすしの値段は「時価」とされることが多かったが、小嶋さんは価格を明確に示すことで客が入りやすくした。



