終戦直後の1945年10月、長崎県壱岐市芦辺町の港内で朝鮮半島出身者らを乗せた引き揚げ船が転覆、沈没した事故から81年となった。事故現場近くの天徳寺は毎年犠牲者の供養を続け、遺骨を預かってきた。今年5月まで住職を務めた西谷徳道さん(77)は「祖国で安らかに眠ってもらいたい」と韓国への遺骨返還を願い続けている。
事故から81年、今も続く供養
事故は1945年10月11日に発生。日本にいた朝鮮半島出身者らが乗った引き揚げ船が、台風で避難していた芦辺港内で転覆した。168人の遺体が収容され、港周辺の海岸に埋葬された。天徳寺は事故直後から供養を続け、地元の人たちは1967年に朝鮮半島を望む海岸の高台に慰霊碑を建てた。
預かっている遺骨は、芦辺で発掘された86人分と、1945年9月の台風で朝鮮半島への引き揚げ船が玄界灘付近で遭難し、対馬に流れ着いた犠牲者の45人分。身元は分かっていない。これらは島内外で保管され、その後、日本政府が引き取って管理。埼玉県内の寺に預託されていたが、2018年5月に天徳寺へ移された。
返還への願い、首脳会談が契機
西谷さんが韓国への遺骨返還を願うようになったのは、2004年12月に鹿児島県指宿市で開催された日韓首脳会談がきっかけ。当時の盧武鉉大統領から戦時中に徴用された韓国人らの遺骨返還について協力要請があり、小泉純一郎首相が応じる旨を表明。それを受け、日本の仏教関係者にも遺骨調査などが呼びかけられた。
先代住職の父が行ってきた年4回の供養を引き継いできた西谷さんは、1998年から韓国・慶州の寺の関係者とも交流を続け、遺骨返還への思いをさらに強くした。天徳寺や地元住民の追悼への取り組みを説明すると、寺側は「供養したい」との意思を示した。遺骨を受け入れる納骨堂を造り、位牌もまつるようになったという。
国同士の協議は進展せず
翌年からは交互に訪問して日韓合同の慰霊供養も営むようになり、今年は西谷さんらが訪韓して今月20日に供養を行う予定だ。西谷さんは厚生労働省や外務省に出向き、手紙や電話で韓国への遺骨返還を要望してきた。後進に道を譲り、5月末で住職を退いたが、これからも訴えていきたいという。6月に就任した住職の町田竜治さん(54)も「先代の思いを引き継いでいきたい」と話す。
厚労省によると、国同士の協議が進展せず、返還に至っていないのが現状。外務省と連携しながら今後も韓国側と協議を続けていくとしている。
西谷さんは「祖国を目前にして亡くなったのは無念のはず。早く帰りたいでしょうね。自分が生きている間に帰してやりたい」と力を込める。