元クボタ社長の幡掛大輔(はたかけ・だいすけ)さんが12日午前10時50分、病気のため死去した。85歳。葬儀は近親者で行い、喪主は長男の正泰(まさやす)さんが務めた。お別れの会などは行わない。
アスベスト問題「クボタショック」への対応
幡掛さんは1941年、北九州市出身。横浜市立大商学部を卒業後、64年に久保田鉄工(現クボタ)へ入社した。コンプライアンス本部長や太陽光発電関連のPV事業推進部長などを経て、2003年から6年間、社長を務めた。退任後は会長や相談役、特別顧問を歴任した。
社長在任中の2005年6月、クボタはアスベスト(石綿)が原因とみられる中皮腫などで旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の従業員ら75人が死亡し、周辺住民3人も中皮腫を発症したと発表した。この公害問題は「クボタショック」と呼ばれ、幡掛さんはトップとして対応。クボタは救済金として被害者らに100億円以上を支払った。一連の問題が契機となり、2006年には石綿健康被害救済法が施行された。
「逃げたらいかん」と語った企業責任
2005年、旧工場周辺住民へのアスベスト健康被害が明らかになった際、因果関係が証明されていない段階でいち早く「道義的責任を感じている」と謝罪。患者や遺族への救済金制度を創設したことで知られる。石綿が原因とみられる病気で亡くなった社員がおり、すでに労災認定後の上積み補償制度が設けられていたことについて、「企業と患者が争うのはお互いに不幸。逃げたらいかんと思った」と振り返った。
幡掛さんは北九州市の戸明(とあけ)神社の長男として生まれた。神社は継がなかったが、大学時代に神職の資格を取得。クボタ社長時代には毎月初日、出勤前に会社近くの神社を訪れていた。神頼みのつもりはないが、不思議と気持ちの整理になっていたという。
通っていた北九州市の東筑高校周辺の「川筋」の気風が影響し、曲がったことが嫌いな性格と自己分析。悪いことは悪い、改めるべきことは改めるという考え方を貫いた。高校の先輩に俳優の高倉健さんや元オリックス監督の仰木彬さんがいることを自慢にしていた。
CSR経営を重視した生涯
クボタについては「創業者の久保田権四郎は日本の水をきれいにしたい、国産で手ごろな価格の水道管を供給したいと考え、それが認められた。一貫して社会に役立ち、製品の提供を続けることで社会に生かされてきた」と語り、CSR(企業の社会的責任)経営を何より大切にした。
最後にやり取りしたのは5年前。本紙に掲載された記事について問い合わせがあった。当時、記者は九州に赴任していたため「帰省の折にでもお会いできれば」と話していたが、会うことはかなわなかった。



