被爆者の最期支える嘱託医の体験 人生満足度「10点」の男性との出会い
被爆者の最期支える嘱託医 人生満足度「10点」の男性との出会い

広島市中区にある原爆養護ホーム「舟入むつみ園」では、約90人の被爆者たちが共同生活を送っている。毎週水曜日、1階の医務室からは入所者と嘱託医の対話が聞こえてくる。嘱託医として2015年から週に1度訪れる有田健一さん(77)は、「原爆で苦労した分、最期は悔いなく幸せに生きてほしい」と語る。

被爆2世の医師が抱いた後悔

有田さんは被爆2世。教師だった父・吉之さんは81年前の夏、広島駅前の郵便局で教え子たちと手紙の仕分け作業中に被爆した。無数のガラス片が背中に刺さりながらも、子どもたちを避難させたという。

広島大医学部を卒業後、呼吸器内科医となり、1980年代後半から広島赤十字・原爆病院で勤務。そこで被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」の初代代表委員を務めた森滝市郎さん(1994年に92歳で死去)の担当医となった。森滝さんは肺の病を患いながら、世界のどこかで核実験が行われると平和記念公園の原爆死没者慰霊碑前で座り込みを行っていた。命をかけて核兵器廃絶運動に取り組む姿に感銘を受けた有田さんは、「森滝さんの生き方に触れた一人として何かしたい」と、在外被爆者の健康診断で各国を回り、原爆被害の実態を伝える講演にも取り組んだ。

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むつみ園で働くきっかけは2012年の父の死だった。94歳で亡くなる直前、入所していた介護施設を出て自宅に戻りたいと言っていたが、有田さんは聞かなかった。「望まない最期を迎えさせてしまったのでは」と後悔が募った。

「100点満点の10点」との対話

高齢の被爆者に残りの人生を悔いなく過ごしてもらいたいとの思いから、広島大OBで原爆養護ホームの運営に携わっていた医師の鎌田七男さん(89)に相談し、むつみ園での嘱託医を勧められた。

通い始めた頃、ある男性に出会った。16歳の時、爆心地から1キロの自宅で被爆し、家族全員を失い、戦後は一人で生きてきたという。人生の満足度を聞くと、男性は「100点満点の10点」と返した。「人生を破壊する原爆のむごさを改めて思い知った。被爆者の心に寄りそうのは簡単じゃない」と痛感し、被爆体験を聞くときには相手が苦しそうでないかなどに一層の注意を払うようになった。

「命は輝く」と励ます日々

今年5月下旬、入所して約10年になる中原サチ子さん(91)が歩行器を押しながら医務室に入ってきた。耳が不自由になり、ひざの痛みも増したことから、特別養護の原爆養護ホームに移ろうと考え、「むつみ園を出る」と伝えた。

「不安はある」とこぼす中原さんに、有田さんは「どこへ行っても大丈夫。自分らしく生きることを大切にすれば命は輝く」と言葉をかけた。中原さんが安堵の表情を浮かべると、有田さんもほほ笑み、「少しでも気持ちが和らいだならよかった」とうなずいた。

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