明智光秀が築いた幻の名城・坂本城の真実:おもてなしの極みと本能寺の変、13日天下、信長の最期、光秀の首の謎
明智光秀の坂本城:本能寺の変と信長の最期、13日天下の謎

天下第二と称された坂本城

明智光秀が築いた坂本城は、安土城に次ぐ「天下第二の城」と称され、軍事拠点であると同時に、客人をもてなすための施設でもあった。家久を案内した際の記録では、城内の備蓄や設備の充実ぶりに加え、座敷船に乗せて琵琶湖で酒宴を催したとされる。光秀の細やかな気配りがうかがえるエピソードである。

本能寺の変と信長の最期

しかし光秀は中国地方への遠征中に軍を京都へと返し、本能寺の変を起こす。『信長公記』によると、信長は「さては謀反だな、誰のしわざか」と問い、側近の森成利が「明智の軍勢と見受けます」と答えると、「是非に及ばず」とつぶやいた。信長は弓や槍で防戦した後、切腹した。その際「女たちはもうよい、急いで脱出せよ」と告げたという。

13日天下の終焉

光秀の天下はわずか13日で終わる。毛利氏と和睦した羽柴秀吉との戦いに敗れ、百姓の竹槍によって殺されたと言われている。信長の劇的な死とは対照的に、光秀の最期は無惨なものだった。光秀の首の行方にも謎が残されている。

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