出征2か月で戦死した父へ「愛情深い人」86歳が平和祈る
出征2か月で戦死の父へ「愛情深い人」86歳が平和祈る

終戦の日の15日に東京で行われる全国戦没者追悼式に、山口県内から遺族ら57人が参列を予定している。3歳で父親を失った防府市国衙の佐古明美さん(86)もその一人だ。父の亀一さんは出征してわずか2か月で悲惨な最後を迎え、一家の生活も困窮した。式典では愛情深かった父に感謝し、平和を祈るつもりだ。

「背は高くて、『一番大きいのがお父さんよ』」

「まだ幼くて、父の顔は覚えてないんですよ。でも背は高くて、『一番大きいのがお父さんよ』と思っていました」

自宅のアルバムにしまってあるセピア色の家族写真を手に、佐古さんは遠い記憶に思いをはせた。髪をきっちり整え、スーツを着こなした父・亀一さん。佐古さんが生まれたときは、長男に続く待望の女の子に大喜びしたという。

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佐古さんの足に障害が見つかったとき、亀一さんは全国を駆け回り、治療を施してくれたと言い、「家を建てられるほどのお金をかけたと聞きました。愛情深い人でした」と語る。

出征からわずか2か月で戦死

一家は下松市で暮らし、亀一さんは鉄鋼会社に勤めていた。召集令状が届き、1943年6月に出征。佐古さんは駅で父の足にすがり、離れなかったという。戦地からのはがきには「子どもの写真が見たいけれど送らなくてよい。ご奉公の妨げになるからね」とつづられていた。

同年8月6日、亀一さんが乗船していた駆逐艦がソロモン諸島で爆沈。死亡当時は31歳で、戦死の公報は終戦後に届いた。

苦しい戦後と慰霊巡拝

山口市徳地に疎開した一家は、苦しい戦後を過ごした。母のサキ子さんは、親戚にもらった米を腹巻きに隠し、妊婦に変装して防府市まで売りに行った。違法な闇米で、警察に捕まったことも。中学校の用務員をしながら夜には縫い物をし、生活を支えた。佐古さんは高校の制服を買うお金もなく、母に習って手縫いした。苦学をして卒業し、地元の会社に就職した。

サキ子さんが亡くなった2003年、国のソロモン諸島への慰霊巡拝に申し込んだ。「父の沈んだ海に行きたい」との思いからだった。母の形見の指輪を身につけ、現地を訪問。ボートから見たその場所は、どこまでも青い海が広がっていた。花輪を投げ、「お父さーん。迎えに来たよ」と力の限り叫んだ。

巡拝の際、亀一さんが戦死したのが出征後わずか2か月だったことを初めて知った。その戦いでは、一夜にして800人が命を失っていた。「もっと早く父の死が伝わり、被害の大きさが分かっていれば、戦争が止まったかもしれない。それなのに原爆が落ちるまで戦争が続いてしまった」。悔しくてたまらなかった。

「私は今、幸せだよ」

慰霊の旅を終えた後、「父に恩返しをしたい」との思いから、地元・防府市の遺族会で活動を開始。会長を4年、事務局長を8年務め、今年4月に若い世代へ役職を引き継いだ。これからは遺族として、経験を語り継ごうと思っている。

子ども2人、孫4人に恵まれた充実した人生だったと思う。15日の式典ではこう祈るつもりだ。

「お父さん、今まで見守ってくれてありがとう。私は今、幸せだよ。どうか永遠に平和が続きますように」

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