2016年に入所者19人が殺害された神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、犠牲者の名前を刻んだ献花台に16日、新たに1人の名前が加わり、刻まれた名前は計11人となった。
鎮魂の碑に刻まれた遺族のメッセージ
園の入り口にある鎮魂の碑には、遺族有志による次のような願いが記されている。「命を奪われた19人を忘れないでください。助け合う社会のすばらしさ、大切さを、もう一度考えてみてください」。献花台は事件から5年後の2021年7月に設置され、当初は7人の名前が刻まれていた。
神奈川県は毎年、19人の遺族に名前を刻むかどうかを確認している。2022年に1人、2023年に2人が追加され、今回新たに1人が加わった。名前の刻み方も様々で、姓名をすべて入れる人もいれば、名前だけの人もいる。
匿名から実名へ「美帆さん」の闘い
事件後、神奈川県警は「現場が障害者の入所する施設で、遺族からの強い要望があった」として、殺人事件の被害者としては異例の匿名発表を行った。元職員の植松聖死刑囚(36)の裁判員裁判でも、犠牲者は「甲Aさん」「甲Sさん」といった記号で呼ばれた。
そんな中、最初に名前が刻まれた7人のうちの一人、当時19歳だった美帆さんの母親(62)は、娘が記号で呼ばれることに強い違和感を覚えた。「美帆は温かく生きてきた人なのに、無機質な扱われ方が嫌だった」と振り返る。
「帆」という名前は、父親が好きなマリンスポーツから連想したヨットの帆に由来する。母親は「美帆という名前が好きでした。音の響きが好き」と話す。
裁判の中で実名を公表した経緯
初公判前、母親は植松死刑囚に美帆さんがどのように生まれ育ったのかを知ってもらおうと、赤ちゃんから成長に応じた写真を弁護士を通じて植松死刑囚の弁護人に渡そうとしたが、受け取ってもらえなかった。
「このままでは、命を奪われた娘がどんな人で、どんな人生を送ってきたのかが相手に伝わらない」。弁護士と相談し、初公判前に犠牲になった娘の名前を「美帆」と公表した。法廷での呼称も、第3回公判から「甲Aさん」から「美帆さん」に変わった。
母親は名前を明らかにする意味について、「いろんな人が覚えていてくれる。誰かの心の中で永遠に生き続ける」と語る。
事件から10年、今なお残る課題
県は今回、新たに名前を刻むにあたり、「一部の遺族は、その氏名を殊更に強調した報道は望んでいない」と説明し、犠牲者の名前を記事や写真で掲載することを控えるよう求めている。事件から10年が経過する中、遺族の間でも実名公表に対する考え方の違いが浮き彫りとなっている。
26日で事件発生から10年。鎮魂の碑に刻まれた11の名前は、それぞれの人生を静かに物語っている。



