臭気問題で工場移転を決断
住友化学の元社長、廣瀬博氏は43歳のとき、大阪・酉島にあった農薬や防疫薬の生産拠点の移転を決断した。工場から臭いが流れ出ていたためだ。周辺には住宅や小学校があり、当時の技術では臭いを止められなかった。「これ以上、操業を続けることは難しい」と判断した。防疫薬は青森県・三沢へ、農薬は大分県などへ移転した。
「環境問題はすべてに優先する」
1988年4月の移転当時、廣瀬氏は総務部の課長になって6年が経っていた。全国の工場周辺からさまざまな環境問題が伝わる中、他社の事例にも敏感に反応。「環境問題は、すべてに優先する」という考えから、自らも「酉島から移転するしかない」と主張した。
源流は有毒ガス事故
「環境基点」の発想の源流は、入社7年目の1973年5月、大分工場で設備の試運転中に起きた有毒ガス流出事故にある。事故発生時、大阪の農薬事業部にいた廣瀬氏は、事後処理や再発防止のチームに駆り出された。「雨の中、電線に止まっていたスズメがバタバタと地面に落ちた」という話を聞き、衝撃を受けた。住民への影響は「ちょっと喉が痛い」程度にとどまったが、全国で公害訴訟が続く時代、緊張して大分へ向かった。



