7月17日、連合国軍総司令部(GHQ)占領下の昭和22年施行の皇室典範が初めて実質改正された。皇族数確保に向け、養子縁組による旧宮家の男系男子の皇籍復帰や、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持し続ける内容で、10月24日に施行される。特に養子縁組は男系継承堅持に寄与するとされるが、今回の改正にあたりいくつもの難所を越える必要があった。
6月30日、麻生・小林・藤田会談
6月30日午前11時半。国会の常任委員長室で自民党の麻生太郎副総裁、小林鷹之政調会長、日本維新の会の藤田文武共同代表が向き合っていた。7月17日に会期末を迎える予定だった特別国会で皇室典範改正案を成立させるには、政府が6月30日までに閣議決定し、国会に提出する必要があった。だが、藤田氏は改正案が養子対象者を配偶者と子がいない「15歳以上」に限定したことに反発。対象者への誹謗中傷の懸念などが払拭できないとして撤回を強く求めていた。
重苦しい雰囲気の中、淡々と語り始めたのは麻生氏だった。「安倍(晋三元首相)が亡くなってしまった以上、俺がやり切るしかない。ここで形にできなかったら10年は改正できない。なんとか形にしたい」。麻生氏はこう言って頭を下げた。
安倍氏の遺志と維新の反乱
安倍氏は第1次政権時、長い伝統に沿わない「女性・女系天皇」を容認する小泉純一郎政権時の有識者報告を白紙に戻した。外相だった麻生氏の後押しもあったとされる。長年にわたりこの問題に携わってきた麻生氏の懇願。藤田氏は受け入れざるをえなかった。
会談前、自民幹部は閣議決定が危ぶまれる事態に「男系継承堅持でまとめきる機会は今回しかない。保守勢力が分裂すれば、目的を果たせなくなってしまう」と懸念を強めていた。仮に藤田氏の要求を受け入れて改正案を修正すれば、男系継承に否定的な一部野党が自らの主張も反映するよう巻き返しに動く事態が想定されたからだ。土壇場で、連立を組む維新の「反乱」は抑えた。政府は6月30日、無事に閣議決定にこぎつけ、改正案を提出した。
水面下の攻防
その20日前の6月10日、衆参両院の正副議長は、政府が改正案を策定する上で基礎となる「立法府の総意」を取りまとめた。だが、政府が与野党代表者が出席する全体会議で骨子案を示し、要綱案が了承される同25日までの約2週間、水面下では「法形式」などを巡る攻防が繰り広げられた。女性皇族が婚姻後も皇族身分を保持する案を優先的な扱いとしたいリベラル勢力と、旧宮家の男系男子を養子として迎える案を強く支持する保守勢力との戦いだ。



