本能寺の変の後、羽柴秀吉が毛利氏との戦線から素早く引き揚げた「中国大返し」は、長く一昼夜で行われた驚異的な行軍と信じられてきた。しかし近年の調査・研究で、秀吉軍は1日ではなく3日かけて姫路まで移動していたことが明らかになった。
この通説の修正により、「あり得ないスピードの中国大返し」を根拠の一つとする秀吉黒幕説は、論拠を失うことになる。
秀吉はなぜ早く情報を得られたのか
秀吉黒幕説には、秀吉がなぜこれほど早く本能寺の変の情報をつかめたのかという問いがある。事前に変を知っていたからではないかという推測につながるが、秀吉は信長の来援に備えて信長軍が宿泊する施設(御座所)を複数建設していた。その御座所を通じて、秀吉は変の報をいち早く入手したとみられる。
「中国大返し」は奇跡でも驚異的でもない
こうした研究の成果は、中国大返しが「奇跡」でも「驚異的」でもないことを示す。そして秀吉黒幕説があり得ないことも教えてくれる。
毛利氏を追い詰めていた秀吉
秀吉は高松城の水攻めにより、毛利方を追い詰めていた。毛利氏一門の武将・吉川元春(毛利元就の次男)が重臣に宛てた6月2日付の書状には自軍の危機的状況が記されており、本能寺の変直後に毛利氏が秀吉との講和に応じた背景には、こうした事情があったと考えられる。
そうした諸々を考えると、天は秀吉に味方していたと言えるだろう。
主要参考文献
- 倉本一宏・亀田俊和・川戸貴史・千田嘉博・長南政義・手嶋泰伸『新説 戦乱の日本史』(SBクリエイティブ、2021)
- 呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』(幻冬舎、2025)
- 「本能寺の変、毛利氏側は秀吉と密約なしか 書状で当日も決戦の構え」(『日本経済新聞』2026・6・2)



