羽田孜元首相を支えた後援会「千曲会」の強さは、「どぶ板」と呼ばれる政治活動にあった。その中心人物が「俺は個別訪問、日本一」と自称する人物だ。
「俺は個別訪問、日本一」と自称する人物
「どぶ板」と呼ばれる政治活動は、実は、地域とのつながりを日常から深めることだと言います。羽田元首相を支えた後援会「千曲会」の強さはまさに、ここにありました。
1990年衆院選での羽田孜の怒り
1990年2月18日に行われた衆院選。開票結果をカーラジオで聞きながら、選挙事務所を回っていた羽田孜の顔色が変わった。「こんなに一生懸命やっているのに、なんで? 僕はもう帰るよ」と怒りをあらわにした。
当時は中選挙区時代。旧長野2区では、3議席を巡り、羽田ら自民党から立候補した2人と、社会党、共産党、無所属から立候補した各1人の計5人が争っていた。
ご機嫌だった羽田が怒りをあらわにしたのは、ラジオが地盤・上田市の開票結果を伝えたときだった。落選した保守系無所属・平野成基に約1千票の差をつけられたのだ。
千曲会会長とともに決意した島田基正氏
羽田は最終的に社会党・堀込征雄に次ぐ2位で当選した。それまでの7回の選挙のうち6回でトップ当選で、4回連続トップ当選中だった。農水大臣を務め、田中派や竹下派でも中心的な役割を担うなど、政治家として脂が乗ってきた当時54歳の羽田にとっては許せない結果だった。
当時、材木商の島田基正(81)は「千曲会」会長とともに、羽田と車に乗り合わせていて、決意した。