前駐オーストラリア大使で同志社大特別客員教授の山上信吾氏は25日、産経新聞のインタビューに応じ、トランプ米政権が国際刑事裁判所(ICC)への圧力を強め、赤根智子所長を制裁対象に指定したことについて、「『全力を挙げて赤根氏を支える』と語ることこそ、保守政権にやってほしい」と訴えた。
「あの不条理と屈辱は二度と」
山上氏は外務省で国際法局審議官などを歴任し、実務の現場で国際法に携わった経緯があり、日本がICCに加盟した2007年は条約課長を務めていた。主なやり取りは次の通り。
──日本がICCを重視すべき理由は
「ICCの設立を巡って日本人が忘れてはならないのは、東京裁判(極東国際軍事裁判)への反省が大きな役割を果たしたことだ。二度とあの不条理と屈辱を日本も、他国にも味わわせてはならない。東京裁判もニュルンベルク国際軍事裁判も、旧ユーゴスラビアやルワンダの国際戦犯法廷も一時的なもので、そのたびにルールが定められた。ICCはローマ規程で犯罪要件を明確に規定し、手続きも透明化した」
「ICCは、法の支配をより具体的なものとして確立していく過程にある。日本こそ、その役割を担わなければならない。一部の保守系の意見には、トランプ米大統領の虎の尾を踏んだICCが悪いと言わんばかりのものがある。歴史観や国家観が感じられない議論だ。靖国の英霊も、もんどり打って嘆いているだろう。第三国からもせせら笑われる」
「『残念』では評論のようなニュアンス」
──赤根氏への制裁に対し、高市首相が表明した「大変残念」との表現について
「弱いと思う。欧州諸国は相当強い表現で反発している。今回は日本人が制裁を受けている。米国が国家主権を守ろうとするのと同様、日本は日本人の生命、財産、名誉を守らなければならない。『残念』では、部外者による評論のようなニュアンスを与える。米国を名指しする必要はないが、赤根氏への支持を明確にし、制裁は受け入れられないと示す必要がある」
──日本は国際機関に日本人トップ輩出に力を入れてきた
「国際機関で働く日本人を守る役目が日本政府にはある。国際機関は国益と国益が衝突する場だ。政府は赤根氏をICC裁判官の候補者に指名し、(締約国会議の選挙を経て)送り出した。ICCの職務には刑事法に詳しい人がふさわしいとして、法務省出身の赤根氏に白羽の矢を立てた」
「苦境に立たされたときに『赤根氏個人の問題だ』と突き放してはならない。体を張って守るべきだ。その意味で『大変残念』という言葉には血が通っていない。もう一言、『全力を挙げて赤根氏を支える』と語ることこそ、保守政権にやってほしい」
「国際機関は、さまざまな国の人間が足を引っ張り合う厳しい世界だ。その中で、日の丸を背負っているとの意識で頑張っている日本人は多い。いざというときにはしごを外されるのであれば、次に国際機関へ行こうとする日本人がいなくなる」
敗戦国の辛酸を糧に
──赤根氏と面識はあるのか
「赤根氏とは先日、初めてお会いした。非常に真摯で誠実な人だ。右翼でも左翼でもなく、ひたすら法律家として法に従って職務に当たる、検事の鑑のような人だ。(赤根氏に聞けば)ICCで最も汗をかいているのはドイツとイタリア、そして日本だという。いずれも敗戦国として辛酸をなめたからこそ、ICCの必要性を肌身で実感しているのだろう」
──ICCは中国が加盟していないため、ウイグルやチベットの人権問題を取り上げていないとの批判もある
「ICCをつぶせば、これらの問題はなくなるのか。日本がICCから脱退すれば解決するのか。そんなことはない。ICCのような機関ができたのであれば、国益のために使うという発想を持つべきだ」
「左翼の牙城だから」は敗北主義
「非加盟国の中国に対し、『加盟せよ』『国連安全保障理事会常任理事国なのに責任を果たさないのか』と声を大にして働きかけるべきだ。国際機関は使いようだ。最初から『左翼の牙城だから』などと諦めるのは、私に言わせれば敗北主義だ」
──日本がICCに加盟する前の犯罪である拉致問題をICCで扱うことは可能か
「拉致問題も強制失踪という現在に続く犯罪として、ICCの管轄権を主張できないか、政府が法的可能性を改めて検討すべきだ。拉致という犯罪行為が行われたのは日本だ。NGO任せにせず、日本政府が人道に対する犯罪に当たり得るとしてICC検察官に情報を提供し、捜査や訴追を促すなど、さまざまな手立てを検討すべきだ」
国際裁判所の活用で活路を
──日米同盟への影響を懸念し、日本は米国を厳しく批判すべきではないとの意見もある
「米国は法の支配を掲げ、国際法に従う国だからこそ日本は同盟を結んでいるのではないか。同盟国だから黙らなければならないという議論は日米同盟をいびつなものにし、日本国内に不健全な鬱屈をためることになる」
「日本には背骨があったはずだ。『米国のポチ』といわれること自体が国柄を害する。日本が背骨を見せることは、中国やロシア、北朝鮮に対する抑止力にもつながる」
──米国がICCに加盟しないという判断をどうみる
「ICCに加盟しないという米国の判断は、主権国家の判断として尊重されるべきだ。しかし、自国の意向に従わないからといって国際機関の解体に関わろうとするのは、傲慢以外の何物でもない」
「アフガニスタンのような国がICCに加盟していることで、米兵も間接的に守られていると考えられる。捕虜の殺害は国際法上の戦争犯罪であり、ICCによる訴追の対象になり得る。そのことが犯罪の抑止につながる。日本は、ICCが米国にとっても利益になることを米政府に粘り強く説くべきだ」
動かなければ「絵に描いた餅」
──ICCの実効性を疑問視する声もある
「ICCは決して万能ではない。職員は約900人しかおらず、警察権もない。容疑者の逮捕や身柄の引き渡しも締約国に頼らざるを得ず、締約国が動かなければ絵に描いた餅になる」
「ICC発足後しばらくはアフリカの独裁者らを対象とする事件が中心で、『アフリカ担当の裁判所か』と陰口をたたかれた。それでも現在は、国際社会の耳目を集める重大犯罪に関与できるようになった」
「国連安保理と比べても画期的だ。安保理は常任理事国の拒否権に阻まれ、大きな問題で動けないことがある。ICCはイスラム原理主義組織ハマスの軍事リーダーやロシアのプーチン大統領にも逮捕状を出せる。少なくとも国際犯罪を裁くためのプラットフォームはできている。日本が国連安保理常任理事国になるのは極めて難しい。だからこそ、ICCを使ってものを申す。日本外交はこの視点を持つべきだ」
──国際裁判で日本人が果たしている役割をどうみる
「国際司法裁判所(ICJ)では岩沢雄司氏が所長を務めている。国際法を司る2つの裁判所の所長を日本人が務めているのは、画期的だ。日本政府は、その意義をもっと認識し、外交に生かすべきだ」(聞き手 奥原慎平)



