幕末から令和へ、ベルギーとの関係はビターチョコから甘美な友好へ
幕末から令和へ、ベルギーとの関係は苦みから甘みへ

日本とベルギーの外交関係は、1866年(慶応2年)に締結された「日白修好通商航海条約」に始まる。この条約は、他の西洋列強との不平等条約に倣ったもので、日本側にとっては苦渋の選択だった。しかし、160年を経て、両国の関係はビターチョコから甘美なものへと変貌を遂げている。

不平等条約から始まった関係

東京・表参道の国学院大学で最近開催された特別展「日本・ベルギー修好160周年記念―美と知の交流の軌跡―」では、この条約の批准書原本が展示された。分厚く豪華に装丁された文書には、15代将軍徳川慶喜ではなく「源慶喜」と署名されていた。将軍が対外的な条約文書で「源」姓を用いたことは、当時の日本の立場を象徴している。

展示の説明文には、この条約が日本の「開国」後に西洋諸国と締結された他の不平等条約に倣うものであったと記されている。幕閣や西国藩主、攘夷派志士たちの嘆きが聞こえてくるような内容だ。

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苦難を乗り越えた友好の兆し

しかし、時代は変わる。特別展では、ベルギーが1882年に有栖川宮熾仁親王を迎えて催した晩餐会の席次表も展示され、丁重な接遇の様子が伝えられていた。この晩餐会は、日本の存在を正式に認めた瞬間だったとされる。

両国の距離が劇的に縮まったのは、第一次大戦中のドイツ軍によるベルギー侵攻が契機だった。ドイツ軍がルーヴェン・カトリック大学の図書館に放火し、蔵書30万冊を焼失させた後、1921年に昭和天皇(当時皇太子)が廃虚を訪問。日本は和書1万4000冊を寄贈した。

龍谷大学の松尾秀哉教授(ベルギー政治)は、この背景について「ドイツ軍はフランス侵攻に際し、途中のベルギーに『通過させろ』と迫った。だがベルギーは『我々は国であり、道ではない』と緊急閣議で徹底抗戦を宣言した。結局負けるのだが、小国の意地が、日本人の共感を呼んだ」と話す。

善意の恩返しと現代の交流

日本がベルギー支援を続ける中、1923年には日本が関東大震災に見舞われる。するとベルギーは260万フラン(現在価値で数億円)の義援金を日本に送った。これは米国、英国に次ぐ3番目の額である。

駐日ベルギー大使のアントワン・エヴラー氏は「本を寄贈してくれた日本人が窮地に陥ったとき、ベルギー人も何か善意で返そうと考えたのです」と語った。

支え合う友好関係は現在、皇室と王室の交流にも表れている。天皇陛下は6月のベルギー訪問時のスピーチで、ご自身とベルギーのフィリップ国王、長女の敬宮愛子さまとエリザベート王女、祖父同士がいずれも同い年であることなどから「四世代の近しさ」を強調された。

日常生活に溶け込むベルギー文化

日本国内では、ベルギー由来の文化が社会に溶け込んでいる。食卓ではベルギー式ワッフルが供され、バレンタインデーには女性がゴディバなどベルギー王室御用達のチョコレートを男性に贈る文化が根付いている。エヴラー大使は「チョコ好きのベルギー人は家に板チョコを常備し、チョコレートケーキやムースを作る。私も幼少時から作った。祖母のレシピで」と話す。

不平等条約から始まった関係は、160年の星霜を経て、今や甘美な友好へと変貌した。

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