中上健次は「書斎の作家じゃなかった」 担当編集者が語る新宿での足跡
中上健次「書斎の作家じゃなかった」 編集者が語る足跡

「書斎の作家じゃなかった。まだ先に行くんだ、行くんだって」――中上健次を担当した編集者は振り返る。元文芸春秋の編集者・吉安章さん(64)は、1980年代半ばから中上を担当した。電話で呼び出され、新宿2丁目はずれの沖縄料理店の扉を開けると、中上はいつも荒れていたという。

新宿での創作の変わり目

夜も煌々と明るい新宿にも、40年前はまだ薄暗いところがあった。駅の西側に仕事場を構えた中上健次は、この地に入り浸りながら、新しい文学の形を探していた。「ちょうど変わり目だった。書き方を変えなきゃっていう焦りもあったんだと思う」と吉安さんは語る。

その作品世界は、『鳳仙花』や『千年の愉楽』で見せた濃密な「路地」の外に出ようと苦闘していた。『日輪の翼』の主人公ツヨシは、解体された路地から旅に出て、巡礼の果てに東京にたどり着く。吉安さんが担当した『讃歌』では、イーブと名を変え、ホストとして新宿の性風俗に身を投じている。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

<車をビルの角で降りて、繁華街のはずれの一角に入った途端、建物の群の何がイーブを刺激するのか、そこが路地と感じとる>。街の暗がりに、作家は「路地」を見いだしていた。

時代に敏感に反応した作家

この地を巡りながら、中上は時代に敏感に反応していた。1990年、日本文芸家協会が永山則夫元死刑囚の入会を拒否すれば、激しく反発して脱会に至った。翌年は、湾岸戦争への自衛隊派遣に、作家仲間らと反対の声明を出した。

多忙を極めた時期でもあった。関心は、映画に芝居、写真にも広がった。それでも、ことあるごとに口にしていた。「俺は作家だよ」。経験した全てを小説に注ぎ込もうとするかのような、執念に似た矜持だった。

吉安さんは言う。「書斎の作家じゃなかった。ぐるぐる回りながら、見聞きしたものを取り入れようとしていた。新宿はどこかに出て行くためのハブ空港だったんでしょう。まだ先に行くんだ、行くんだって」

残された足跡

現在は四谷に移転した文壇バー「風花」には、今も中上のウイスキーボトルが置かれている。店主の滝澤紀久子さん(85)は「いつまでも置いておけないかとも思ったけど、みんなが取っておいてくれって言うんです」とほほえむ。

新宿という地を踏みしめ、作家はどこかに飛び立とうとしていた。今はただ、その力強い足跡だけが残っている。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ