近鉄(近畿日本鉄道)は、営業キロ501キロ、286駅を擁する日本最大の私鉄である。その規模だけでなく、社員の口にする「この先の桜がきれいなんですよ」という言葉に象徴される人間味と、沿線全体をプロデュースする経営の強さが、同社の特徴だ。元近鉄広報マンの福原稔浩氏が、その歩みを振り返る。
路線拡大とともに抱え込んだ「人生」
1950年代から1970年代にかけて、近鉄のネットワークは急速に充実した。山田線・志摩線の拡張、京都線・橿原線・天理線の架線電圧昇圧と車両大型化、そして伊勢志摩方面への特急網整備が本格化する。高度経済成長による人流の急増に応えつつ、近鉄はすべての路線を同一基準で扱うことはせず、どこに力を入れ、どこに寄り添うかを常に選択し続けた。
路線が増えることは、単に線路が延びるだけではない。価値観の異なる沿線を一つの会社が引き受けることを意味する。通勤輸送、都市間移動、観光、そして信仰――近鉄は次第に「人生」を抱え込む鉄道会社となっていった。
「時間を提供する」特急整備の思想
伊勢志摩方面への特急整備は、単なる速達化が目的ではなかった。それは「どんな時間を提供する鉄道でありたいのか」という会社としての意思表示でもある。移動そのものを旅に変え、列車に乗ること自体を目的とする――この思想は、のちの観光特急へと確実につながっていく。
福原氏は「近鉄は常に、お客様にどんな体験を提供するかを考えてきた」と振り返る。この姿勢が、単なる輸送機関を超えた存在へと成長させた。
沿線生活圏をプロデュースする会社へ
近鉄は鉄道会社の枠を超え、沿線の住宅地開発、駅前商業施設、観光施設や宿泊施設へと進出。運輸、不動産、国際物流、流通、ホテル・レジャーと多角的に事業を展開する。交通インフラを核に「暮らし」と「観光」を一体で描くビジネスモデルは、全国的にも注目を集めた。
気がつけば営業キロは501キロを超え、名実ともに「日本一の私鉄」と呼ばれる規模へと成長。しかし、その強さの源泉は単なる数字ではなく、社員一人ひとりの言葉に表れる人間味にあると福原氏は指摘する。



