米イラン和平協議、スタートから暗雲
アメリカとイランの恒久的和平に向けた協議が始まったが、早くも難航が予想される。トランプ大統領は6月17日、フランス・ヴェルサイユ宮殿での晩餐会中に米イランの覚書に署名した。しかし、トランプ氏は「イランが合意を守らなければ必要な行動をとる」と脅し、一方のイランはバンス副大統領らとの握手や写真撮影を拒否して席を外すなど、とても60日という期限内で合意できる雰囲気ではない。
覚書の実態:停戦と航行安全が優先
今回の覚書は、当面の戦闘行動の停止とホルムズ海峡をタンカーなどが安全に航行できるようにすることが最大の目的だった。その点は評価できるが、アメリカが問題としてきたイランの核兵器の開発計画の停止、イランに対する制裁の解除などより複雑な問題は協議の枠組みが示されたにとどまっている。
前回の記事(誰もが待ち望む〈中東の停戦〉で戦闘が終わるわけではない…)でも指摘されたように、今回の覚書のような「停戦合意」は恒久的和平に向けた入り口に過ぎない。停戦後、根本的な対立の原因を取り除くための政治的協議が成功して初めて和平が実現する。しかし、多くの場合、戦闘が再開し再び停戦というパターンが繰り返される。和平実現にたどり着くケースは極めて限られている。
アメリカが合意を急いだ理由
それに加えて今回の覚書はいびつなものになっている。通常、停戦合意は戦闘の当事国間で結ばれる。イラン戦争の当事者はアメリカとイスラエル、そしてイランだが、覚書に合意したのはアメリカとイランであり、イスラエルは完全に外された。そうなったのはアメリカが合意を急いだためだ。
東洋大学名誉教授の薬師寺克行氏は、アメリカがイランとの協議を急いだ背景として、2026年11月の中間選挙を控えたトランプ政権の国内政治的な事情を挙げる。「トランプ大統領は選挙戦で『中東和平の実現』を公約に掲げており、目に見える成果が必要だった。イスラエルを協議のテーブルに乗せると交渉が長期化するため、あえて外した」と分析する。
イスラエルと恒久和平に至った2国の事情
一方、イスラエルは今回の覚書に反発している。イスラエルのネタニヤフ首相は「イランとのいかなる合意も、イスラエルの安全保障を脅かすものであってはならない」と声明を出した。しかし、イスラエルはすでにアラブ首長国連邦やバーレーンなどと「アブラハム合意」により国交正常化を果たしており、イラン包囲網の一翼を担ってきた。今回の米イラン協議は、その包囲網に穴を開ける可能性がある。
反イスラエルの強硬国はいずれも崩壊しつつある。シリアのアサド政権は内戦で弱体化し、イラクは親イラン民兵の影響下にあるが、国家としてはイスラエルと直接対決する力はない。レバノンのヒズボラもイスラエルとの戦闘で疲弊している。こうした中、イランだけがイスラエルに対抗できる軍事力を持つが、経済制裁で疲弊している。
イランとイスラエル、どちらも看板を下ろせない
イランとイスラエルの対立は、単なる国益の衝突ではなく、イデオロギー的な要素が強い。イランは「イスラエルの消滅」を国是とし、イスラエルは「イランの核開発阻止」を生存戦略の要としている。どちらも譲歩すれば国内の支持基盤を失うため、妥協は極めて困難だ。
薬師寺氏は「イランとイスラエルは、どちらも『看板』を下ろせない。イランにとっては反イスラエルが革命の正統性の源泉であり、イスラエルにとってはイラン脅威が国内結束の接着剤だ。この構図が変わらない限り、恒久和平は絵に描いた餅だ」と指摘する。
変貌した超大国アメリカ
さらに、アメリカ自身の変貌も和平協議を複雑にしている。トランプ政権は「アメリカ・ファースト」を掲げ、伝統的な同盟関係よりも取引的な外交を重視する。イスラエルを置き去りにした今回の覚書もその表れだ。しかし、その一方でトランプ大統領はイランに対して強硬な姿勢を崩さず、交渉のテーブルに着きながらも脅しを続けるという矛盾した態度をとっている。
アメリカの国際的な信用は低下している。同盟国である欧州諸国も、アメリカの「取引外交」に不信感を強めており、今回の覚書に対しても「持続可能な和平につながらない」と冷ややかな見方を示している。
恒久的な和平に向けた協議は始まったばかりだが、現実は厳しい。覚書はあくまで一時的な停戦であり、本丸である核問題や制裁解除、イスラエルの安全保障は先送りされた。60日という期限は非現実的であり、多くの専門家は「合意はおろか、戦闘再開のリスクさえある」と警告する。中東の平和は、まだ遠い。



