ソニー復活の原動力「エバーグリーン」戦略
四半世紀にわたる「受難の時」を経て復活を果たしたソニー。かつての「エレキのソニー」と今の「エンタメのソニー」はまるで別の会社だ。神話に彩られたカリスマ創業世代なきあと、普通の「人々」はいかにエンタメのソニーを築き上げたのか。その転換点に迫る群像劇の一端が、盛田昭夫がユダヤ系移民コミュニティから学んだ「エバーグリーン」経営にある。
1989年、雨の西武球場で生まれた伝説
1989年7月26日、埼玉県所沢市の西武球場(現ベルーナドーム)は、豪雨にもかかわらず半透明のビニールかっぱを着込んだ3万人の聴衆で埋め尽くされた。この年で4年連続となる歌手・渡辺美里(当時23、EPIC・ソニー所属)のソロライブ。時折稲妻がステージを照らす中、13曲目の『パイナップル ロマンス』を歌い終わったところで、スタッフが安全上の理由から「コンサートを中止する」と告げた。
雨ですっかりメイクが落ち、すっぴんになっていた渡辺は演目にない『すき』を歌い終えると、「雨のバカーー!!」と叫んだ。納得しない聴衆は「みさと」コールを続け、渡辺はマイク一本で大ヒット曲『My Revolution』を歌い出し、3万人が大合唱。この「雨のバカーー!!」は伝説となった。
盛田昭夫とユダヤ人脈が築いた永続的利益の源泉
ソニーのエンタメ事業の屋台骨は、永続的に利益を生む「エバーグリーン」な楽曲群だ。盛田昭夫は、ユダヤ系移民コミュニティとの交流を通じて、一度ヒットすれば長期にわたり収益をもたらす音楽資産の重要性を学んだ。盛田が築いたユダヤ系移民の人脈は、ソニー・ミュージックエンタテインメントの基盤形成に大きく寄与した。
特に、アーティストを守る姿勢は、ソニーの音楽事業の信頼を高めた。盛田は、クリエイターの権利を尊重し、長期的な関係を重視する経営を徹底。この方針が、後にソニーをエンタメ企業へと変貌させる原動力となった。
大賀のレコード廃盤とエバーグリーン戦略の深化
ソニー元会長の大賀典雄は、レコードの廃盤を推進し、在庫リスクを減らす一方で、エバーグリーンな楽曲のデジタル化と再販に注力した。この戦略により、ソニーは物理媒体からサブスクリプション型の収益モデルへと移行。現在のソニー・ミュージックの収益の多くは、過去のヒット曲から生まれている。
「エバーグリーン」はソニーの屋台骨となり、ゲームや映画など他エンタメ部門にも波及。例えば、プレイステーションのソフトウェア資産や、映画『スパイダーマン』シリーズなど、長期収益を見込めるIP戦略が全社に浸透した。
エンタメのソニーへの転換点
ソニーは、エレクトロニクス企業としての挫折を経て、エンタメ企業への転換を加速。2000年代の構造改革では、音楽、映画、ゲームを中核に据え、2010年代以降はアニメや配信事業にも拡大。2020年代には、エンタメ部門がソニー全体の営業利益の過半数を占めるに至った。
渡辺美里の伝説のライブは、ソニーの音楽事業の象徴的なエピソードであり、アーティストとファンの絆、そしてエンタメ企業としてのソニーの原点を示している。



