首都直下地震の発生確率が30年以内に70%とされる中、森ビル(東京都港区)は、大地震などの災害時に「逃げ出す」のではなく、入居企業や居住者が事業や生活を継続でき、帰宅困難者らも受け入れる「逃げ込める街」づくりに注力している。ハード・ソフト両面での取り組みと、それを支える人材育成の背景には、創業当時から受け継がれる地域への愛着と、災害に強い都市づくりへの使命感がある。
阪神・淡路大震災を教訓に
きっかけは1995年の阪神・淡路大震災だった。死者6434人を出した震災で、高速道は倒壊し、鉄道網は分断され、電気やガスなどのライフラインは壊滅。都市機能が一時完全に失われ、復旧が妨げられ、経済活動の長期的な停滞につながった。
同社災害対策室事務局の細田隆事務局長は「発生当時は、六本木ヒルズ(2003年開業)の計画段階にあり、発災後すぐに被災地に赴き、甚大な被害を目の当たりにした当時の社長森稔の陣頭指揮のもと、ハード・ソフト両面でさまざまな計画変更を行った」と話す。目指したのは「逃げ込める街づくり」と、広域停電でも企業が重要な事業を継続できる「実効性のある事業継続計画(BCP)」の確立だった。
発電プラントで事業と生活を継続
ハード面では建物の強靭化を重視し、「(命を守ることに重きを置いた)国の基準の2段階上を目指した独自の基準を設け、高度な制振・免震装置を採用し、耐震性を高めている」という。さらに、電力会社の供給が途絶えても事業や生活を継続できるよう、都市ガスを使った自家発電エネルギープラント「ガスコージェネレーションシステム(CGS)」を導入。平時から電力会社の供給を受けず、中圧ガス管のネットワークを通じて都市ガスの供給を受け、地下のガス発電設備で電気をつくる。発電に伴う排熱は冷暖房に利用し、エネルギー効率に優れるほか、ガス管が地中にあるため風水害にも強い。
細田氏は「中圧管は柔軟性が非常に高いので地震に強く、阪神・淡路大震災や東日本大震災でも被害が少ないことが証明されている」と説明する。ガスコージェネレーション施設は当時まだ珍しく、六本木ヒルズでの導入は先駆的だった。ヒルズでの採用でそのメリットが広く知られるようになり、現在では多くのエリア開発や施設でも導入されている。
帰宅困難者、3ヒルズで1万4000人受け入れ
東日本大震災(2011年)では、都心部での帰宅困難者が大きな課題となった。政府の被害想定によると、首都直下地震では鉄道や道路の不通により約840万人の帰宅困難者が生じる可能性があり、都では、職場や学校などに留まれない買い物客や観光客ら「行き場のない帰宅困難者」は66万人に及ぶと想定する。都内で確保済みの一時滞在施設は今年1月現在で53万人分。同社は港区と協定を結び、約1万4000人を六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズ(2014~2023年にかけて段階的に開業)、麻布台ヒルズ(23年開業)の3ヒルズで受け入れる。内訳は六本木5000人、虎ノ門5200人、麻布台3600人。渋谷区とも協定し、表参道ヒルズでも受け入れを行う。
細田氏によると、「各ヒルズに備蓄倉庫をつくり、1日3食、計3日分の食料や、アルミブランケット、エアマット、さらに女性の衛生用品や赤ちゃんの紙おむつ、外国人向けのハラルフードなどを常備している」という。
建物の安全性を即時判定、独自システム開発
帰宅困難者の受け入れには、受付の設営や案内板の設置など多くの準備や作業が生じる。また、受け入れの前提として建物の安全性を確認する必要があるが、構造部分の目視確認は難しく、超高層ビルではかなりの時間がかかる。そこで同社は東日本大震災後、建物の被災状況を即座に推測できるシステム「e-Daps(イーダップス)」を独自に開発し、各ヒルズなどに導入した。
同社のビルには数フロアごとに地震計が設置され、地震発生時にはそのデータと各ビルの固有の構造特性を掛け合わせ、フロアごとの「揺れの加速度」と「建物の変形」をリアルタイムで自動解析。被災状況の1次判定が即座にできるようになった。細田氏は「『計算上、このフロアに損傷がありそうだ』というのが〝見える化〟できるのが大きい。まずそのフロアから確認するという初動の効率化ができる」と意義を語る。
有事に備え、3.5キロ圏内に社宅整備
ソフト面の核は「人」だ。同社では、東京23区で震度6弱以上の地震が発生した際、森ビル社員約1700人が「社宅部」「救護活動部」「ビル復旧部」といった震災対策組織に即時に切り替わる仕組み。中でも特徴的なのが「社宅部」で、複数の防災要員用の社宅に居住する社員に加え、六本木、アーク、虎ノ門、麻布台の各ヒルズの半径3.5キロ圏内に居住する社員計300人で組織されている。発生時にはまずこの300人が駆け付け、「帰宅困難者やマンション居住者、災害対策本部の事務局などの支援にあたる」(細田氏)という。
社宅部は隔月で年6回の訓練を行う。実際に参加している社宅部員は「毎回、課題が出てくるので、その都度改善を重ねている」と話す。ほかにも全社員対象の総合震災訓練と安否確認訓練がそれぞれ年3回、徒歩出退社訓練が年1回実施され、普通救命講習の受講が全社員に義務付けられている。
原動力は地域への愛着
地域防災に力を入れる原動力について、同社の森稔・元会長(2012年死去)は著書『ヒルズ 挑戦する都市』で「父も私も真剣に地元の価値を高めたい、いい街だといわれるようにしたい、と願っていた」と明かしている。稔氏の父・泰吉郎氏は港区西新橋の米穀店に生まれ、大学教授の傍ら70年前に地元で貸家業を始め、その後、稔氏とともに虎ノ門を含む一帯に貸しビル「森ビル」を次々と建設。その数は「第45森ビル」までカウントされたという。
当時の港区には地震に弱く、道の狭さから消防車が入れない木造家屋の密集する地域が多かった。稔氏は広いエリアを一体的に再開発することで安全性を高め、「逃げ出す街」から「逃げ込める街」へ変えることを考えた。最初の取り組みがアークヒルズ(1986年開業)で、エリア内の就業者・居住者だけでなく周辺の人も逃げ込める場所を目指した。細田氏によると、当時は再開発エリア周辺にも木造住宅が多かったが、現在は近代的なビルに建て替わり安全性が高まったことで、「逃げ込む」対象が周辺住民から「帰宅困難者」に大きく変わってきたという。
稔氏は東京を世界から選ばれる都市にしたいとの思いも持っていた。外資系企業がアジアの拠点を選ぶ際、地震リスクから敬遠されないよう対策に万全を期し、同著には「それゆえに建物の耐震性や災害に強い都市づくりに人一倍こだわってきた」と記している。創業当時からの思いは辻󠄀慎吾会長(前社長)、そして向後康弘現社長へと継承され、細田氏をはじめ現場がそれを形にし、改善を続けている。同社のエリア防災への取り組みは今後も続く。



