日本のビジネスパーソンは真面目に改善に取り組むが、戦略に関しては驚くほど無知だ。「会社の戦略は成長です」と語るリーダーもいるが、それは目的であって戦略ではない。一方で、多くの人が「戦略」という言葉を好んで使うが、実際には計画と混同している。「戦略を立ててデジタルマーケティングを実践しています」という言葉は、実は計画に過ぎない。計画は成功までの手順であり、戦略は勝つための選択と非選択である。
この混乱は、会社や大学で戦略を教えていないことに起因する。その結果、現場は目先の効率と過去の慣習という泥沼にはまっている。筆者は30歳頃から戦略に興味を持ち、研修を重ねてきたが、今なお多くの疑問がある。戦略はリーダーシップと同様、リーダーに必須のスキルでありセンスだが、リーダーになってから慌てて学んでも手遅れだ。センスは一般社員のうちから磨くべきものである。
戦略を曖昧な言葉で片付けるな
多くの人が戦略と計画や目的を混同している。書籍『戦略の要諦』(日経BP、リチャード・P・ルメルト著)では、戦略を「どこなら勝てるかを決めること」と定義している。勝つことには様々な理由がある。利益が上がり投資余力が生まれ、顧客により良い製品やサービスを提供できる。社員への還元が増え、顧客やパートナーとの満足度が高まる。自社の仕事が「他者より選ばれた」という客観的証拠となる。パートナー企業にビジネスチャンスを提供し、株価上昇で投資家を惹きつけ、税金を通じて社会貢献できる。
重要なのは、戦略は強みを活かすが、得意なことを実践するわけではないということだ。得意なことで勝てれば理想的だが、現実はそう簡単ではない。儲かる場所で勝つ必要がある。よくある間違いは、他社より少し速い、機能が多い、性能が少し良いといった程度の差で勝負しようとすることだ。これは戦略ではなく、持久戦であり、程度の差に過ぎない。機能はすぐに模倣され、最終的には価格競争に陥る。
AI業界では、生成AIの発展により模倣が容易になり、グローバルベンダーが標準機能を拡張することで、AI SaaSは極端な競争状態、いわゆるレッドオーシャン化している。楠木建教授が常に言うように、「種類の違いで差別化をする」必要がある。
本当の戦略は「やらないこと」を決める
古くから言われるように、真の戦略は何をやるか以上に、何をやらないかを決めることだ。スティーブ・ジョブズは業績指標を追いかけたり、コンセンサス作りに時間を費やすことを選ばなかった。彼は良い製品を作るという一点にリソースを集中させた。これが戦略的意思決定の本質である。企業のリソースは限られており、アップルでさえ全方位でビジネスを推進できない。戦略とは、儲かりかつ勝てる戦場を特定し、限られたリソースを集中投下し、優れた戦法で勝利することだ。
多くの企業は以下の戦略の罠に陥っている。これは書籍『P&G式 「勝つために戦う」戦略』(朝日新聞出版、A・G・ラフリーら著)から引用する。
- 総当たり戦略:選択できずすべてを優先する戦略
- ドン・キホーテ戦略:競合の城砦都市を攻撃したり、最強の競合を正面から攻撃する戦略
- ウォータールー戦略:複数の戦線で複数の敵を相手にする戦略
- 八方美人戦略:すべての顧客、流通チャネル、地域、カテゴリーやセグメントを同時に捉えようとする戦略
- 見果てぬ夢戦略:立派なミッション・ビジョンを作成したが、具体的な戦場と戦法の選択、中核的能力、経営システムに結びついていない戦略
- 月替わりメニュー戦略:業界で一般的な戦略を実施し、すべての競合が同じ顧客、地域、セグメントを一様に攻める戦略
なぜ一般社員にも戦略が必要か
「戦略は偉い人や経営企画が考えるもの」と思っているなら、その思考こそが組織の足を引っ張っている。市場は生き物であり、トップダウンの指示が現場に届く頃には賞味期限が切れている。顧客の肌感覚を最も持っているのは現場の社員だ。現場に戦略眼がないと、良かれと思って過去の慣習で判断し、会社をゆっくりと衰退させる。
負けることは単に数字が落ちるだけではない。投資ができなくなり、イノベーションが止まり、優秀な人材から順に泥舟を降りていく。筆者がかつて勤めていたDECはCompaqに買収され、最終的に切り売りされた。筆者自身も泥舟から脱出し、マイクロソフトに入社した。どちらが良かったかは分からないが。
一般社員のうちからリーダーシップと戦略を磨いておけば、リーダーになったときに有利であり、会社の未来は明るくなる。そもそも、リーダーシップと戦略のセンスがないリーダーと働くのは嫌ではないか。現実には、リーダー研修はリーダーシップばかり教えており、戦略が欠けている。
「勝てる土俵」を冷徹に見極める
戦略の要諦は「どこなら勝てるか」を決めることだ。書籍『SHIFT解剖 究極の人的資本経営』(日経BP、飯山辰之介著)で紹介されたSHIFT代表取締役社長・丹下大氏の言葉は印象的である。「経営の役割は、成長できるマーケットを選ぶこと。そして、素晴らしい経営チームを作り、競争力のあるビジネスモデルを構築することです。そこまでやれば、後は社員が頑張れば、生産性を上げさえすれば、必ず成果が出るはずなんです。」
勝てる土俵を見極めるためのフレームワークはいくつかある。生成AIで調べれば詳しく教えてくれる。
- SCPモデル:自社の業界のルール(市場構造:Structure)を客観的に把握し、自社のアクション(戦略的行動:Conduct)が業績(Performance)にどうつながるかを理解する。
- VRIO:自社のリソースが「価値があり(Value)」「希少で(Rarity)」「模倣が難しく(Inimitability)」「組織的に活用されているか(Organization)」を問う。
- ランチェスター戦略:弱者が広域戦で強者に挑むのは自殺行為。特定のセグメント(局地戦)に兵力を集中し、競合の3倍のリソースを投下して首位を獲る。
- 5フォース(マイケル・ポーター):対象セグメントが儲かるかを評価する。5つの脅威(新規競合、既存競合、代替品、供給者交渉力、購入者影響力)で平均的企業パフォーマンスを評価する。AI SaaSはすべての脅威が高く、平均パフォーマンスは低いが、その中にも勝ち筋はある。
製品以外の勝ち筋を作る
「良いものを作れば売れる」という幻想は昭和の遺物だ。市場が急拡大していた時代は、先駆者の模倣と程度の差でよかった。しかし今後は、製品そのものよりもビジネスモデルのイノベーションが利益を生む。有名なフレームワークとして、ビジネスモデルイノベーションとファイブ・ウェイ・ポジショニング戦略がある。
ビジネスモデルイノベーションは、「誰に(Who)」「何を(What)」「どのように(How)」「なぜ儲かるか(Why)」のマジック・トライアングルのうち、少なくとも2つを競合からずらして勝ち筋を作る。例えば、提供モデルを「サブスクリプション」にするか、「フリーミアム」で攻めるか、「カミソリと替え刃」モデルで消耗品を売るか。そして、これらをバラバラの「施策」ではなく、一連の「面白いストーリー」としてつなげることが、模倣困難な競争優位を生む。
まとめ
戦略とは、頭の良い誰かが作ってくれる魔法のレシピではない。ましてや、改善という名の延命措置を繰り返すことでもない。現場で過去の慣習に従って思考停止している間に、市場という戦場では、合理的な戦略を持つ競合があなたの会社の椅子を狙っている。戦略に反則はない。さあ、勝つために勉強しよう。
(北川裕康:独立系コンサルタント。AI inside元執行役員CPO。38年以上B to B ITビジネスに従事。マイクロソフト、シスコシステムズ、SAS Institute、Workday、Infor、IFSなどで執行役員歴任。前データサイエンティスト協会理事。)



