1575年創業、織田・徳川連合軍と武田軍が激突した「長篠の戦い」と同じ年に開業した老舗餅屋・二軒茶屋餅角屋本店。その21代目社長、鈴木成宗氏(58)は、新規事業に乗り出したものの、経営が悪化し、自分の給料すら出ない状況が3年近く続いた。コンビニの廃棄弁当で食いつなぎ、散髪にも行けず妻にバリカンで切ってもらう日々。しかし、そこから這い上がり、祖業を超える事業に成長させた。
老舗に生まれた21代目の憂鬱
鈴木氏は1967年、三重県伊勢市に生まれ、幼少期から生き物が大好きだった。小学生の頃は森で昆虫を採り、川で魚を採る毎日。この生き物好きが高じて東北大学農学部に進学し、微生物の研究に没頭した。しかし大学卒業後は家業を継ぐ約束があり、実家に戻ると、二軒茶屋餅は自宅兼工場で生餅を作り、それを売って一日が終わる小さな商売だった。
田舎の個人商店では活躍の場がなく、生餅という商品の性質上、遠方への販売は難しく、世界へ出たいという思いを持て余す日々。転機は1994年、細川護熙内閣による地ビール規制緩和だった。大好きな微生物と向き合いながら世界を相手にビジネスができると確信し、即座に動いた。先代の父は反対しなかったが、周囲からは「そんな危ないことはしなくてもいい」と忠告され、税務署の担当者からも「お宅のような老舗が、わざわざこんなことをしなくてもいいのに」と言われた。
廃棄弁当で食いつなぐ日々
地ビール事業を始めたものの、経営は悪化。鈴木氏は「当時はコンビニの廃棄弁当を食べて生活を凌いでいました。散髪にも行けないので、毎回妻にバリカンで切ってもらっていました」と振り返る。450年以上続く老舗を自分の代で潰すのではないかという恐怖が彼を追い詰めた。
しかし、どん底から這い上がる。金賞を獲得しても全く売れなかった時期があったが、「社員がかわいそう」と13時間の説教が変えたものがある。軌道に乗ってきた矢先、2.5億の逆張り投資を決断。「下剋上を狙うには今しかない」と語る。その結果、人材こそが最大の経営資源となり、「社長の論文」を読んで入社する人も現れた。
起死回生の突破口
鈴木氏は「一回限りの人生を謳歌したい」と語り、老舗の餅屋を世界を相手に戦う企業へと成長させた。祖業である餅屋の枠を超え、地ビール事業で成功を収めた。経営コンサルタントの伊藤伸幸氏が取材したこの物語は、伝統と革新の融合が生んだ逆転劇である。



