なぜ小竹向原は再開発されない?練馬区と板橋区の境目の街、その理由と歴史
小竹向原が再開発されない理由とは?練馬区と板橋区の境目

練馬区と板橋区の境目に位置する小竹向原駅周辺は、東京の中でも再開発が進まず、昔ながらの街並みを残している。なぜこの地域は再開発されないのか。その理由を歴史と現状から探る。

駅開設の遅れと地下駅のみの立地

小竹向原駅が開設されたのは1983年(昭和58年)。練馬区に初めて鉄道が通った1914年から実に69年後のことである。この長い空白期間が、駅周辺の開発を遅らせた大きな要因だ。また、小竹向原駅は地下駅のみで、地上に駅施設がない。地上駅であれば駅前ロータリーや駅ビル整備のための再開発が行われやすいが、地下駅ではその機会に恵まれない。

駅名争いの逸話

小竹向原という駅名は、練馬区と板橋区の間で争われた結果決まった。仮称は向原駅だったが、練馬区側が小竹町駅を希望し、最終的にホームの9割が属する練馬区を優先して「小竹向原」となった。

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再開発を阻む3つ目の理由

3つ目の理由は、駅前一等地に2つの小学校が存在することだ。これにより大規模な商業施設やタワーマンションの建設が難しく、低層住宅が中心の街並みが維持されている。さらに、幹線道路建設に対する住民の反対運動も再開発を抑制した。住民が住環境を守るために声を上げ、結果として再開発が進まなかったのである。

住民がつくった街

小竹向原は、住民自身が手作りで守ってきた街とも言える。昔ながらの商店街や昭和の趣を残す家屋、狭く入り組んだ路地は、住民の意思が再開発を拒んだ結果だ。タワマンや高層オフィス、大型商業施設のないこの街は、東京にあって異色の存在感を放っている。

小竹向原の再開発されない理由は、単に遅れた開発時期や地下駅という物理的条件だけでなく、住民の強い意志と地域コミュニティの力が大きく影響している。この街は、再開発の波に飲み込まれず、独自の文化と景観を守り続けているのだ。

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