正倉院展の「鍾乳床」、不老不死の薬? カルシウムが有効成分か
正倉院展の鍾乳床、不老不死の薬? カルシウムが有効成分か

第78回正倉院展に出展される「鍾乳床(しょうにゅうしょう)」は、鍾乳洞の中で伸びる「つらら石」を原料とする薬だ。東大寺の大仏に献納された薬の目録「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」に記された薬の3分の1は、こうした「石薬(せきやく)」が占めている。今年、どのような作用があるのか、その一端を示した研究成果が発表された。

鍾乳床のでき方と「種々薬帳」

光明皇后が756年、東大寺の大仏に献納した薬は、中国(唐)からもたらされたとされる。「種々薬帳」には、60種類の薬名と数量が記載されている。「病に苦しむ者に与えよ」という趣旨に基づいて一部は治療に使われ、現在残るのは約40種類にとどまる。種々薬帳に記載されていない約20種類(帳外薬物)も含めて、昭和(1948~51年)と平成(94~95年)の2度、薬の成分などを調べる科学的調査が行われた。

鍾乳床は、大小二つの塊が残っている。調査の結果、その正体は鍾乳洞の天井からつらら状に垂れ下がるように成長したつらら石で、炭酸カルシウムを主成分とする「方解石」の集合体とわかった。激しい咳(せき)や吐血による肺の損傷、冷えによる下痢、乳汁分泌不全などの症状に、粉末として服用されたとみられる。

植物原料の薬より尊ばれた石薬

種々薬帳の60種類の薬のうち19種類が、こうした鉱物や化石を由来とする石薬だった。なぜ、これだけ多くを占めたのか。昭和の調査に参加した益富寿之助・京都薬科大教授(当時)の著書「正倉院薬物を中心とする古代石薬の研究」には、古代中国の薬学書で石薬は上位に記載され、植物を原料とする薬より尊ばれたと紹介されている。

背景には、石薬は、草木のように焼いて焦げたり、埋めて腐ったりせず形が変わらないため、「『不老不死』につながる」とする神仙思想の影響があったとの見方だ。

有効成分は「カルシウムイオン」

石薬は、現代の日本でも生薬として使われている。「石膏(せっこう)」や「滑石(かっせき)」のほか、鍾乳床と同じ炭酸カルシウムを主成分とする「竜骨(りゅうこつ)」がある。ただ、いずれも薬が効くメカニズムについてはよくわかっていない。

こうした中、名古屋市立大の牧野利明教授(生薬学)らの研究チームが今年、石膏に関する論文を発表した。鼻腔(びくう)の奥に広がる空洞で炎症が起きる病気「慢性副鼻腔炎」に対する漢方薬の効果を検証。その結果、石膏に鼻づまりなどの原因となる粘液が作られるのを抑える作用があり、「カルシウムイオン」が有効成分であるとわかった。

牧野教授は「石膏と鍾乳床で単純な比較はできない」と前置きした上で「鍾乳床にも同様の作用があった可能性がある」と指摘する。ただ、「石膏においても、なぜ粘液の産生を抑えることができるのかという仕組みの解明はこれからだ」と説明する。

古代の人々が様々な願いを込めて大切にした石薬。大仏献納から1300年近くが過ぎた今も、その神秘性が人々を引きつける。

献納当初から重さ2倍に…なぜ?

大仏に献納された当時の鍾乳床の重さは10斤(2.2キロ)だった。現在は大小塊の計23斤(5.2キロ)だ。点検の記録によると、献納から5年後の761年、ほぼ半分を取り出し、787年の計量では5斤1両(1.1キロ)だった。793年、811年は増減がなかったが、献納100年の856年に、新たな塊の6斤(1.4キロ)が入蔵された記録があった。薬の出庫の記録はこれを最後に途絶え、明治時代の点検では今の重さとなっていた。

昭和の調査に参加した益富氏は、856年に入蔵された6斤が現在の小塊にあたり、包み布の文字から常陸国(現在の茨城県)から献上されたと分析。当初に献納された10斤は全て出払い、明治時代までのどこかで何者かが現在の大塊(17斤)を納めたという推論を残している。

第78回正倉院展は、10月24日(土)から11月9日(月)まで奈良国立博物館で開催される。会期中無休で、事前予約の日時指定入場制。一般2000円、高大生1500円、小中生500円。問い合わせはハローダイヤル(050・5542・8600)。