日本人初のノーベル生理学・医学賞受賞者で、米マサチューセッツ工科大(MIT)教授の利根川進さんが7月11日、86歳で亡くなった。あくなき探究心を武器に、大きな問いを見抜き、自分の技術で突破口を開いた。抗体の多様性を生み出す仕組みを解き明かし、さらに脳科学へと分野を移して、記憶の研究に新たな地平を開いた。
「非常にレベルの高い研究しかしない」という姿勢
「非常にレベルの高い研究しかしない。それ以外は見向きもしない」
大学院時代、米国のトップ研究者から学んだこの姿勢を、利根川さんは一生貫いた。
まずは、重要な問いを見つけること。ノーベル賞の受賞業績となった研究も、偶然めぐり合った大きな謎に挑んだことから始まった。
スイスで出合った「抗体」の大きな謎
免疫学の知識も興味もなかった。だが、ビザが切れるため、一時避難のつもりでスイスのバーゼル免疫学研究所に移った。そこで耳にしたのが、病原体から身を守る多様な「抗体」ができる仕組みの謎だった。抗体はたんぱく質で、遺伝子を設計図として作られる。限られた遺伝子で100億ともいう多様な抗体をどう作るのか。
利根川さんは、自分が持つ遺伝子の技術で解けるかもしれないと考えた。準備に時間がかかり、雇用期間は終わっていたが、実験を続けた。
まだ抗体を作らないマウスの胎児の細胞と、大人マウス抗体の遺伝子を比べた。免疫細胞の中で抗体遺伝子の断片を再構成していることを証明した。断片の組み合わせ方で多様な抗体ができる。後のノーベル賞につながる大発見だった。
他人よりすぐれている技術があるか、見極め新分野へ
1981年、MITに移籍した。免疫学の研究を続けながら、生命科学における最後の謎ともいえる「脳」に関心を移していく。成功した分野にとどまらず、免疫の謎に魅せられた時と同じように、未解明の脳に好奇心をかきたてられた。ただ、実際に研究を始めるまでには10年を要した。
「好奇心、ある問いに魅せられることが原動力だが、それだけでは科学にならない」と後にインタビューで答えている。それまで多くの優秀な頭脳が技術を駆使して努力しても解けなかった謎だ。別の方法か、新しい視点が必要だ。他人よりすぐれている技術があるか。それを見極めてから、新分野に踏み込んだ。
ある日、突破口を見つけた…



