「カフスボタン」と煙が繰り返した。
「ええ」
「円形に黒と白の幾何学模様、エナメル仕上げ、金属部分は銀、片方だけ」
老婦人は目を丸くして煙を見上げた。
「そう、それよ」
「スモーキングルームにあった遺失物です」
柔らかな笑い声が老婦人の薄い唇からもれた。
「あの人、葉巻とウイスキーが大好きだったから」
「そして、お客様の遺失物はこちらですね」
煙が老婦人に片手を差しだす。白手袋に覆われた掌の上で、真珠の耳飾りが片方だけ光っていた。老婦人が息を吞んだ。
「こちらのお部屋にありました」と、煙が「天使の部屋」に目を遣る。
老婦人の告白
老婦人は震える手で真珠の耳飾りを取ると両手で握り締めた。「違うの……」と細い声で言う。「落としたわけでも、忘れたわけでもないの。私が置いていったの。また、夫とこの部屋に泊まりたかったから。国に帰ってから、ホテルに忘れてしまったと慌てるふりをしたら、夫は言ってくれたの。情勢が落ち着いたら取りにいこう、あのホテルならきっと預かっていてくれる、と。そのうち戦争がどんどんひどくなってしまった。息子が戦死して、夫は空襲で下半身が麻痺する大怪我を負って、この耳飾りのことはすっかり忘れてしまったわ。生きるだけで必死だったのですから」
煙は静かな微笑みを浮かべて聞いている。
「この片方もこっそり売ってしまった。なのに、夫は亡くなる前に私をベッドに呼んで言ったのよ。一緒に取りにいってやれなくてすまなかった、と。なんのことを言っているのかすぐにはわからなくて、夫が息を引き取ってから思いだした。私の嘘のせいで、夫は罪悪感を抱いたまま逝ってしまった」
煙の応対
老婦人は黒いヴェールの中で、若い娘のように涙をこぼした。煙はホテルの紋章が入った白いハンカチを差しだし「貴女が思いだして来訪してくださったことが嬉しいです」と言った。「持ち主にどんな思惑があったとしても、我々にとって遺失物は遺失物です。持ち主にお返しできて安心致しました。ご主人様もきっと同じお気持ちかと思います」
老婦人は涙に濡れた顔でわずかに頷き、ヴェールをあげて片方だけの耳飾りをつけた。「ありがとう」と微笑む。「どうか良き滞在を」と煙は言った。
煙が老婦人を部屋まで送っていくのを、蝙蝠の見舞いから戻った金ボタンは大階段の踊り場から眺めた。



