ベロアの赤い椅子、天井から下がった丸い照明が、店内をほのかに照らしている。小さい窓から、通りを行き交う人たちが見える。寄宿舎のある大塚では見られないような最先端の和装、洋装の男女が町を闊歩している。そんな人たちを見ながら、スエにコーヒーを飲んでほしかった。
初めてのコーヒー
ほどなくしてやってきたコーヒーをスエはじっと見つめている。
「飲んでみて。おいしいよ、ほら」と言いながら美貴子はカップに口をつけた。味わい慣れたいつものコーヒーの味だ。スエがゆっくりとコーヒーカップを手に取り、そっと口をつける。すぐに眉間にかすかに皺が寄った。こほっ、と咳をして、手にしていたハンカチで口元を拭う。
「大丈夫?」
「こんなに苦いもんなんじゃね……知らんかった」
美貴子はスエのコーヒーカップにお砂糖とミルクを足し、スプーンでぐるぐるとかきまわした。
スエは再びコーヒーを口にし、「おいしい……」と目を輝かせた。そうして窓の外に目をやる。モボ、モガ気取りの若者が目の前を通り過ぎる。
スエの胸の内
「日本には、東京には、こんなところがあるんじゃね……私はちぃとも知らんかった」
「勉強ばかりしていたからでしょう」とほんの少しからかうように美貴子が言うと、スエが目を伏せた。
「……十五の歳に父が病気で亡くなったんよ。じゃけえ私が早う先生になって、母を楽にして、妹や弟を上の学校にも行かせたいんよ、私ができることと言うたら勉強しかないけんね……」
「……」
スエの言葉にちくりと美貴子の胸は痛んだ。自分は勉強が得意なのだから、もっと勉強ができるところに行くのは当然の権利だと思っていた。それがすごく特別なことだと今まで思ったこともなかった。けれど、大連の女学校を出た友人たちのなかには、すでに家庭を持っているものも少なくはない、と母から聞いた。それが当時の多くの女子の生き方だった。この先、女高師を出て、家事科の先生になることも、自分にとってみては、どこかぼんやりとした未来で、それが自分が強くのぞんだ夢なのだと、胸を張って誰かに伝えることもできない。