二十世紀梨に賭けた鳥取県民の情熱 エースパックなしっこ館を訪ねて
二十世紀梨に賭けた鳥取県民の情熱 なしっこ館訪ねて

鳥取県倉吉市にある「エースパックなしっこ館」(正式名称は鳥取二十世紀梨記念館)は、二十世紀梨をテーマにしたミュージアムだ。鳥取県は日本有数の梨の産地で、特に二十世紀梨の生産量は日本一を誇る。

梨のミュージアムの魅力

先月弘前市りんご公園を訪れた筆者は、りんごの次は梨という単純な理由でこの施設を訪れた。弘前の施設がほぼ果樹園で屋外の光景に魅力があるのに対し、倉吉のこちらは屋内で展示が完結している。冷房もよく効いており、酷暑の夏にはこちらのほうが向いているかもしれない。

入ってまず目に飛び込むのは、頭上を覆う木の根だ。樹齢74年、直径20メートルの二十世紀梨の巨木を掘り起こして持ち上げ、防腐処理を施したシンボル的な展示となっている。現役時には毎年4000個、普通の木の約5倍の実をつけていたという。ご神木という言葉が自然と頭に浮かぶ。

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意外な発祥と鳥取県への導入

しかし筆者がいちばん驚いたのは、展示室のかたすみの壁に掲げられた地味なパネルだった。それによると、二十世紀梨はもともと鳥取県ではなく千葉県の農家の「ゴミ捨て場」に苗木がたまたま生えていたもので、見つけたのは13歳の少年だったという。

少年は苗木を持ち帰り、大事に育てた。家が果樹園を営んでいたのだ。10年後の明治31(1898)年、ようやく実がつくと、球形の輪郭と黄緑色の肌を持ち、甘く果汁たっぷりで舌の上でざらざらしない実だった。これがたちまち評判となり、新品種と認められ「二十世紀」と名づけられた。

筆者の当て推量では、「ゴミ捨て場」は当時の言葉でいう掃き溜めで、雑草や貝殻、廃油が捨てられるため土壌に特色が出ることがある。そこへゴミとして捨てられた梨の種が芽を出し、何らかの形質が表面化したのかもしれない。

鳥取県が賭けた希望の光

この新品種は鳥取県にも導入され、県民はこれに賭けた。鳥取県は県域の大部分を山地が占め、肥沃な沖積平野が少なく、そのかわり神様が砂地をたっぷり与えてくれた。夏は蒸し暑く、冬は雪が多く、近隣に大消費地がない。作物が取れない、取れても売る場所がないという二重の不利が運命づけられている。

そういう風土に生きる人々にとって、二十世紀梨はかすかな希望の光だった。斜面で育てられ、水はけのいい土が有利で、果実の日持ちがする。すなわち遠くへ運んで売る可能性が見えるのだ。時あたかも明治後期で、全国の鉄道網の拡大は新たな段階に入っていた。

ここで神様はタイミングよくもうひとつ加護をあたえた。2年あまりの工事の末、兵庫県北部の余部橋梁が完成し、鳥取県は全域が京阪神の大消費地と一本の線路で結ばれたのである。開通の年、姫路でおこなわれた品評会では、鳥取県の金涌富吉という人が出品したものが一等賞を受賞した。

これをきっかけに県内ではいっきに作付けが進み、大きな収入がもたらされたが、その後も栽培の現場は苦難の連続だった。雪で枝が折られたり、害虫や黒斑病にやられたりした。第二次大戦中には「不急不要作物」に指定され、芋類への転作を余儀なくされた。

それでもこの県民は、この品種に関するかぎり、たぶん他のどの県民よりも粘り強かった。「適地適作」などという通りいっぺんの言葉では説明できない強い意志、深い感情がそこにある。世には国運、社運という言葉があるが、このミュージアムはまさしくそういう県運をかけた営みの一大集積にほかならなかった。

なお、鳥取県の県花は「二十世紀梨の花」。単なる梨の花でないところに含蓄がある。

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