タカラトミー名誉会長・富山幹太郎氏、おもちゃは「体験づくりの大切なツール」と語る
タカラトミー名誉会長、おもちゃは体験づくりのツールと語る

タカラトミー名誉会長の富山幹太郎氏(72)は、おもちゃを「子供たちが成長する過程で心に残り続ける『思い出』や『体験』を作る大切なツール」と位置づける。同社は令和6年に創業100周年を迎えた。

隠れてプラモデル作りに熱中

葛飾区で生まれ育った富山氏は、2代目で父の允就氏から「勉強しろ」と言われ、おもちゃ屋に生まれながらおもちゃで遊ばせてもらえなかった。それでも「プラモデル作りが好きで当時流行っていた(他社の)タミヤやハセガワの戦闘機や戦車のプラモデルを隠れて作っては、見つからないようにベッド下の引き出しに隠していたね」と笑顔で振り返る。

英国のハル大学を卒業後、28歳で当時の製造部門であったトミー工業に入社。製造、開発、営業などに携わり、平成元年に販売部門のトミーの社長に就任した。

日本独特の遊び文化とトミカ誕生

44年間おもちゃ業界に携わってきた富山氏は、日本の遊びの文化は「大衆文化」からきていると語る。「欧米の遊びは貴族の文化から始まっているが、日本の遊びは歌川広重の浮世絵や歌舞伎のように大衆の文化から始まっていて、他国にはない独特な遊び心やクリエーティブさがアニメや漫画、ひいては日本のモノづくりの強みになっている」と話す。

トミカが世に出るまではミニカーといえば外国車がほとんどで、「日本車はすぐ壊れる、性能が悪い」というイメージが強かった。しかし、昭和35年頃の高度経済成長期にマイカーブームが到来し高速道路が続々と開通。このモータリゼーションの波に乗り、父の允就氏が「日本の子供たちにはなじみのある日本車のミニカーで遊んでほしい」と思い立ったのが始まりだ。

各自動車メーカーと協力しながら製造し、手のひらに収まる小さな車体に実車を忠実に再現した細かい作りで、昭和45年に商品化された。現在、トミカは累計販売台数10億台を突破し、国内外で累計1万車種以上を誇る。誕生55年の令和7年には、国内の大手自動車メーカー5社とコラボし、各社のデザイナーが人気車種に特別な記念デザインを施した限定トミカも制作した。

地元葛飾への思いと共遊玩具への取り組み

東日本大震災の発生後、避難所におもちゃを届けに行った際、そこにいた子供たちが「あー! おもちゃだ」と笑顔になり、それを見た親もほほ笑んだ。「子供の笑顔っていいね、そう思わせられるのがおもちゃです」と富山氏は語る。

思い出に残る遊びを作りたいという思いは発展し、視覚・聴覚障害などがある人も一緒に遊べる「共遊玩具」の開発推進と普及に長年力を入れている。その活動が評価され、令和元年12月には内閣総理大臣表彰を受章した。

地元葛飾については「気を使わずに生きられる下町風情が好き」と語り、大企業に成長後も「地元に還元したい」という思いで立石に留まる。先代から続く地元貢献の精神を胸に、令和でも子供たちの「笑顔」と「思い出」を葛飾区から作っていく。

タカラトミーは、東京都葛飾区にそれぞれ本社を構えていたタカラ(同区青戸)とトミー(同区立石)が平成18年に合併し誕生。平成29年には「おもちゃの街」を掲げる同区と連携し、地域活性化を進める協定を締結した。