吉田茂、借り物の靴で親任式「ファースト・ドーター」山場、GHQとの外交戦
吉田茂、借り物の靴で親任式 総理就任の3条件とは

作家の林真理子さん(72)による本紙連載小説『ファースト・ドーター、アンド…』は、主人公・麻生和子の父、吉田茂が急転直下で敗戦国の宰相となり、日本の主権回復に向けて奮闘していく山場を迎えている。

「戦争に負けて、外交で勝った歴史がある」

外交官出身の吉田はこの信念を胸に、GHQ(連合国軍総司令部)に立ち向かった。昭和14年3月に駐英大使を最後に外務省から退いていた吉田は、先の大戦中も和平工作に奔走し、20年4月には憲兵隊に拘置されることに。吉田の回想録『回想十年』(中公文庫)によると、40日間余りに及んだ拘置中の栄養不良がたたってか、神奈川・大磯の自宅で臥せったまま終戦を迎えることになった。

同9月17日、東久邇宮内閣の書記官長だった緒方竹虎からモーニングを持って上京するよう電話があり、外務大臣に就任することに。あまりに急な話だったため、モーニング用の黒靴を用意しておらず、借り物の靴で親任式に臨んだ。吉田は「靴が大き過ぎて歩き難く、その上ゴボゴボ音がして陛下の御前では殊に苦心した」と、政治家としての第一歩をユーモラスに振り返っている。

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「友好的口論」通じて築いた信頼

外務大臣に就任した吉田は、総理大臣として陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言を受諾し、終戦へと導いた鈴木貫太郎のもとを訪れ、その助言を乞う。この時の「負けっぷりをよくやってもらいたい」という鈴木の言葉は、吉田にとってGHQと対峙(たいじ)する際の指針となった。イエスマンでも面従腹背でもなく、「言うべきことは言うが、あとは潔くこれに従うという態度」でGHQの占領政策に協力する腹を決めたのだ。

吉田は続く幣原喜重郎内閣でも外務大臣に留任するが、当時はGHQの命令で外交や領事関係の仕事は一切停止されており、GHQとの橋渡しが吉田の主な仕事だった。吉田はマッカーサー元帥との幾たびかの「友好的口論」を通じて、一定の信頼関係を築くことに成功する。吉田は特にマッカーサー元帥の現実主義や勘の良さを評価していた。

『回想十年』では、マッカーサー元帥が極東国際軍事裁判における天皇陛下の証人喚問に反対したこと、財閥解体に際しても三井や三菱、住友といった商号の使用禁止をうやむやにしてくれたこと、そしてソ連の北海道進駐を拒否してくれたことなどを挙げ、日本占領の最高指揮官がマッカーサー元帥であったことを「如何に日本にとって幸運であったか」と述べている。

「四囲の情勢に押されて…」総理就任の3条件

日本自由党総裁だった鳩山一郎の公職追放に伴い、吉田は昭和21年5月、後任の総裁となり総理大臣に就任する。このとき吉田が鳩山に約束させたのが、金はないし、金作りもしない▽閣僚の選定には口出しさせない▽いやになったらいつでも投げ出す-という3つの条件だった。「政党というものに生来あまり親しみを感じなかった」という吉田にとって、総理就任は「四囲の情勢に押されて引き受けざるを得なかった」というのが偽らざる本音だったようだ。(村嶋和樹)

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