16歳の美輪明宏、三島由紀夫に放った一言で「可愛くない子だな」と唖然させた出会い
16歳美輪明宏、三島由紀夫に放った一言で唖然

歌手で俳優の美輪明宏さんが20日に91歳で亡くなった。ヒット曲「ヨイトマケの唄」や舞台「黒蜥蜴」で知られ、近年は辛口のご意見番として親しまれた。プレジデントオンラインは、文芸評論家の岡山典弘氏の著書『三島由紀夫が愛した美女たち』(MdN新書)から、三島由紀夫との初対面のエピソードを再掲する。

生まれ育ったのは「女の地獄」

美輪明宏(旧名・丸山臣吾)は1935年、長崎の丸山遊郭で生まれた。両親は遊郭の一画でカフェ「新世界」を経営。花街で育った美輪は、「男の天国」が実は「女の地獄」であることを幼少期に知った。家の隣には劇場と映画館を兼ねる「南座」があり、坂東妻三郎や長谷川一夫の芝居を夢中で見つめ、『女だけの都』『マタ・ハリ』『椿姫』『モロッコ』『ブロンド・ヴィナス』などの名作に親しんだ。

10歳のとき、長崎に原爆が投下された。美輪は後に「阿鼻叫喚の交響楽がシンバルやティンパニーの乱打とともに、何十万の悲鳴のコーラスを叫び、この世の果てまで届くよう助けを求めて哭いていました」と回想している。

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新聞広告「美少年募集!」

終戦後、美輪は海星学園に進んだ。オランダ坂の石畳を上った丘の上にある白亜の校舎からは、聖母マリアの像が街を見守っていた。「長崎のコバルト色の空や港、中間色の町並みを見下ろす丘の上にある学校の講堂で、ピアノを弾いて歌っていたあの頃が、一番美しい思い出となっています」と語る。しかし突然退学し、シャンソン歌手を志して国立音楽大学附属高校に転入する。

アルバイトを探していた美輪の目に、「美少年募集!」という新聞広告が飛び込んできた。募集していたのは銀座五丁目の「ブランスウィック」という喫茶店だったが、実はこの店はただの喫茶店ではなかった。三島由紀夫の小説『禁色』にも登場する、いわゆる「その道の人たちの倶楽部」だった。

裸体に豹の毛皮を巻き付けて歌い踊る

美輪はブランスウィックで働き始め、裸体に豹の毛皮を巻きつけ、ローションを塗って照明を反射させるという過激なパフォーマンスで人気を博した。当時16歳だった美輪の舞台を、三島由紀夫が観劇することになる。

三島は美輪の美貌と演技力に衝撃を受け、自ら楽屋を訪れた。三島は開口一番「なにか飲むか」と誘った。すると美輪は、すかさず「お酒は二十歳まで飲めないんですよ」と返した。三島はこの返しに「可愛くない子だな」と唖然としたという。この一言が、二人の長い交友の始まりとなった。

江戸川乱歩も初対面で贔屓に

美輪の才能は三島だけでなく、江戸川乱歩も認めるところだった。乱歩は初対面で美輪を贔屓にし、後に美輪が主演する舞台『黒蜥蜴』の原作を提供することになる。美輪はフランス語で歌った「バラ色の人生」でも観客を魅了し、三島から「君は、大物になる」と太鼓判を押された。

歌手としての運命を拓いた一通の紹介状

三島は美輪に紹介状を書き、シャンソン歌手としての道を開いた。美輪は後に「ヨイトマケの唄」で大ヒットを飛ばし、歌手・俳優として不動の地位を築く。三島との出会いがなければ、現在の美輪明宏は存在しなかったかもしれない。

美輪明宏さんの訃報に際し、多くのファンがSNSで追悼の意を表している。そのユニークな人生と、三島由紀夫ら文豪との交流は、今後も語り継がれるだろう。

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