飲み会の「容姿いじり」、相手は本当に笑っているか?愛情表現が部下を追い詰める
飲み会の「容姿いじり」、相手は本当に笑っているか?

日本では、「いじり」は愛情表現であり、仲の良い証だと長く信じられてきた。だが、いじられる本人は本当に笑えているのだろうか。そして、それを聞いている「第三者」はどう感じているのだろうか。容姿いじりを受け入れるのをやめた会社員と、マンガのなかで「嫌だ」と声を上げた登場人物の姿から考えたい。

※本稿は『つまり、それがルッキズム〜23の事例と解説〜』から一部抜粋しています。

“いじり”は、本当に愛情表現なのか

なかなか世の中からなくなってくれない慣習、いじり。容姿に限らず相手のことをからかう文化は、ずっと昔から「おもしろい」だけでなく「愛情表現(仲が良い証)」とされてきた。事実、いじりを愛情として受け取る場面も多々あって、みんないじり、いじられて生きてきたと思う。たしかに、気を遣ったよそよそしい関係はさみしい。「ドジだなあ」と茶化した調子で言われると、心を開いた関係になったような気持ちになるのは、とてもよくわかる。

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その笑いは本心からか

しかし、いじられている側の笑顔が、必ずしも本心からのものとは限らない。特に容姿に関するいじりは、本人にとっては深刻なコンプレックスに触れる可能性がある。周囲が「仲がいいから言える」と解釈しても、受け手は傷ついているかもしれない。また、その場にいる第三者も、いじりを聞いて気まずさを感じたり、自分もいつかいじられるのではと不安になったりする。

その場にいる“第三者”への配慮を

いじりは、いじる側といじられる側の関係だけで完結するものではない。周囲で聞いている人々の感情も無視できない。ある会社員は、上司が後輩の容姿をいじる場面で「それはやめたほうがいい」と発言し、その後輩を守ったという。このように、いじりに対して「ノー」と言える勇気が、職場の雰囲気を変えるきっかけになる。

後輩のために、上司の「いじり」にノーと言った人

マンガ『つまり、それがルッキズム』では、容姿いじりを受けた登場人物が「嫌だ」と声を上げるシーンが描かれている。現実でも、いじりをやめさせるために行動する人が増えている。いじりが愛情表現として通用していた時代は終わりつつある。相手の気持ちを尊重し、本当に楽しいコミュニケーションを目指すべきではないだろうか。

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