現金なものである。と書いて、この言い方、ちょっと古いかも、と気づいた。「現金なもの」という慣用的な表現の意味は、計算高い、打算的、ちゃっかりしているなどという意味だが、現金で支払いする社会で生まれた言い方だろう。現金払いが珍しくなってきた今では、この言い方は、珍しい、少数派などの意味を帯びるかも。
現金払いが珍しくなった日常
ボクが日常的に買い物をするのはコンビニとスーパー、近所のパン屋などだが、ケータイを取り出してじゃらんと払っている。書店もセルフレジになっていてやはりスマホでぱっぱと払う。ボクの暮らしにおいても「現金なもの」という言い方はすでに実感が薄くなっている。
生身魂への感謝と敬意
さて、そのやや古くなった言い方でボクは何を言おうとしたのか。生身魂(いきみたま)もよい、と言いたかったのである。生身魂とは盆の期間の老人(祖父母、身近な長老など)である。かつてその生身魂には感謝と敬意を込めてごちそうをしたという。贈り物もした。
手元の俳句歳時記には、「生身魂七十と申し達者なり」(正岡子規)、「おいぼれにあらず吾こそ生身魂」(草間時彦)などの句が出ている。ボクもまた「吾こそ生身魂」と名乗りたい、と思ったのだ。
80歳を超えて考えが一転
数年前までは、生身魂などと呼ばれてなるものか、と思っていたのだが、80歳を越してからは考えが一転した。あの世に通じているというか、此岸にいながら彼岸の人でもある生身魂になると、世界が広がるかも、と気づいたのだ。その気づきを「現金なもの」とボクは思った。
ともあれ、この盆の期間に近所に住む孫などが来たら、「吾こそ生身魂」と名乗ってみたい。(俳人、柿衞文庫理事長)



