『踊る!さんま御殿!!』の収録を終えたばかりの平野ノラが、2日放送の日本テレビ系『ライターズ!』(深1:25)に登場。収録の感想を「無事帰還しました(笑)」「やっぱり緊張感がある、“準備して挑む”番組です」と明かした。
収録前は夫にエピソード確認
『踊る!さんま御殿!!』の収録前には「必ず旦那さんに(話そうと思っている)エピソードの確認をしてもらいます」といい、「そのワードは分かりにくいから、もっと分かりやすくしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスを受けるという。さらに「(明石家)さんまさんはテンポをとにかく大事にするのでテンポの確認と、言いたいことがちゃんと言葉になっているかというところですね。しっかり確認してもらって(収録に)挑みます」と、夫から幅広くフィードバックをもらっていると語った。
ラーメン屋バイトで芽生えた恋の結末
今回の『踊る!さんま御殿!!』のテーマは「やってよかったバイト報告会」。平野は収録時に話したエピソードを改めて振り返った。
20代のときにラーメン屋でアルバイトをしていた平野は、調理も精力的に行い「頑張ってバイトリーダーまで上り詰めて」いたという。そんな中、同じアルバイト先の男性と「ちょっといい感じになる」ことがあったそう。普段は異なるシフトだが「同じ日に働くシフトになって、その日は楽しく終わったんですけど翌日から全然連絡が来なくなって。デートの約束もしたのに全然連絡が取れなくなって、彼は(ラーメン屋を)辞めちゃうんですよ」と語った。
その男性と仲の良い別の男性に聞いたところ、辞めた男性が「実は平野と一緒に(シフトに)入った日に…」と、調理中の平野の姿を見て「怖い」と言っていたことが発覚。『踊る!さんま御殿!!』収録時にも迫力満点の調理を実演したという。この恋愛エピソードも収録前に夫に共有し、調理の様子を事前に見てもらうと「もっと、もっと、もっと、もっといけるよ!」と前向きなアドバイスをもらったそうだ。
そば屋で培った観察力と、さんまとの阿吽の呼吸
アルバイト経験が今の仕事に生きていることとして、平野はそば屋での「蕎麦湯を出すタイミング」を挙げた。「(お客さんに)『蕎麦湯ください』なんて言わせたら絶対だめ。私はやはり(蕎麦を食べている)最後の3すすりぐらいで、すっと(出す)」という。
その観察力は『踊る!さんま御殿!!』でも生きている様子。「さんまさんから、話の流れで『ノラちゃんどうや?』というパスが来るんですけれど、ホントに(エピソードが)何もないときは、分かりやすく(目線をそらして)視界に入れない。絶対に視界に入れないと、さんまさんも分かるんでしょうね。『あ、ないんやな』って。逆に(エピソードが)あるときはこうやってやる(目線を送る)と『ノラちゃんどうや?』って言ってくれるので」と、MCとの阿吽の呼吸を明かした。
今回の『踊る!さんま御殿!!』で印象に残ったゲストの話として、相田翔子が「人前で接客するのが非常に苦手で、いつも裏方希望でやっていた」中で接客をしなければいけなくなった時の顛末や、こがけんが塾で「(1時間のうち)50分は休んで、残りの10分は授業が終わったときに、黒板を消して、タオルも拭いて、チョークもきれいにしてセットする」仕事をしていた中で、意外な人間関係がきっかけで辞めたというエピソードを挙げた。
『踊る!さんま御殿!!』の見どころについては、「(ゲストは)みんな今テレビに出ている大スターたちじゃないですか。みんなこういう経験をされて、今こういうふうにやられてるんだ、活躍されてるんだということに励まされる」としつつ、「もちろん笑いもたくさんありますし、『昭和にそんなバイトあったんだ!』という面白さもある」と語った。
バレーボール、ミュージカル、ダンス…挫折の連続
『ライターズ!』では、平野の半生をグラフで表現する企画も放送。グラフは10歳の頃からスタートした。
小学生の頃からバレーボールを始め、「強豪のクラブチーム」へ。「全国制覇したり、関東大会優勝したり、全国からそのクラブチームに入りたいってみんな来るんですよ。とにかく厳しくてつらかったんですけど、精神力だったり、忍耐は全部ここで培われて」と回想。バレーボールは高校時代まで続けた。
その後はミュージカルやダンスの道を模索。「高校を卒業して何になりたいんだろう?となった時、ミュージカルの『アニー』を観た時に憧れて、高校3年生の時にミュージカルの学校に見学に行ったんです。でもその時に、自分より小さい小学生の女の子たちがダンスを完璧に踊って歌も歌って、『もう高校卒業してからじゃ遅いんだ』ということに気づきまして。でも、(かねてから好きだった)ダンスはいけるんじゃないかと思ってダンスの学校に行って勉強するんですけど、やっぱりみんな昔からやってるんですね。全然踊れなくて、そこでも挫折するわけです」と振り返った。
芸人の道を目指したきっかけは、友人の劇団員から「劇団やってみたら?」と誘われ、客演で一度出演したこと。「アドリブで言ったことが結構受けて」、一方で他の客演キャストから「勝手なことしてんじゃねぇ、ちゃんと台本があるんだ」と言われたという。そこで「じゃあ(自分で)自由にできるのはなんだろう?と思った時に、お笑いだと思ったんです」と明かした。
25歳で断念、片付け本が変えた31歳からの再起
「25歳までに芽が出ていればいいなと思っていたんですけど、全然芽も出ず、一回(お笑いの道を)25歳で辞めるんです」という平野。28歳の時に「片付け本」に出合った。
「人生も迷ってて、汚部屋に住んでて、昼夜逆転してひどい生活になってて。その時に、(本に書かれていた)『自分の心と部屋が繋がってる』ということに衝撃を受けて、そこから少しずつ片付けて、いろんなものを捨てて、いろいろ手放していったら『やっぱりもう1回芸人やりたいんだ』ということに気づくわけです」と再び芸人を志した。
そして「31歳で芸人をまた始める」と、「その時に周りは全員反対して、当時付き合い始めていた(現在の)旦那さんとうちの母親だけが、『絶対向いてるからやりなよ』って言ってくれて」と当時の状況を振り返った。
バブリー衣装と電話の小道具の舞台裏
その後、“バブリーキャラ”で大ブレイクした平野。衣装や小道具の舞台裏も明かした。
「バブルの衣装は元々母親が着ていたものだったんですけど、それが千鳥格子であまりテレビ映えしないなと思ったので、洋裁が得意な母親に赤い生地で衣装を作ってもらったんです」。小道具の電話については、「その時、今の旦那さんと同棲していたんですけど、100均に行って材料買ってあの電話を作って。作っている時に『これ絶対売れた!』って言いながら、もうすっごい楽しかったんですよ」といい、コードの長さなども一緒に考えていったという。
42歳での出産、映画出演へ
ブレイク後、コロナ禍で仕事のスケジュールに変化があったことで心境にも変化が。「仕事も楽しかったし、子ども(を産むこと)に対してあまり考えたことがなかったんです。(当時)39歳だったので、45歳になって子どもを持ちたいと思った時に、もしかしたら厳しいのかなって思って。45歳までにトライした上で子どもができなかったらそれは納得だなって思って、初めて自分と向き合って、子どもを作ってもいいのかも、持ってもいいのかもと思えて、そこで初めてトライをして、42歳で出産するんです」と語った。
子どもを産んでからの気づきは「これ以上の幸せがあったんだ」ということ。「仕事をしているときはめちゃめちゃ楽しい、もちろんうれしいんですけども、ただ生きてるだけで幸せというのは、もしかしたら初めての感覚。『こんな感覚になるんだ』という気持ちで今、両立しながらやっている」という。
今後の挑戦については、10月2日公開の映画『あなたの息子ひき出します!』に「2番手役で出るんです。初めての演技で、初めての映画で」と説明。「引きこもりをテーマにした、社会性のあるお話」と内容も明かした。
バレーボールで培った精神力で芸人への道に再挑戦したことや、ダンスをやっていたことが「芸人になって、高校生とダンスをしたりすごく活かされた」という点に触れ、ミュージカルに憧れた頃のことを踏まえ、「人生に無駄なんてないんだなというのを、すっごく感じますね」と自身の半生を振り返った。



