西川美和監督、最新作で戦争孤児の少女描く理由 「子どもに見せたい」
西川美和監督、最新作で戦争孤児の少女描く理由

映画監督・西川美和さんの最新作「わたしの知らない子どもたち」(10月16日全国公開)は、戦後の日本で孤児となった12歳の少女と、戦後やむを得ず生徒を棄て、生きる意味を見失った教師の再生の物語です。これまで人間の業や複雑な心理を描写してきた西川さんが、戦後81年を迎えた今、なぜ戦争をテーマに孤児たちの姿を描いたのか。原案・脚本・監督を務めた本作への思いを聞きました。

戦争孤児をテーマにしたきっかけ

前作「すばらしき世界」(2021年)の原案小説『身分帳』(佐木隆三著)の主人公には、戦後の混乱の中で幼少期に戦争孤児と一緒に生きた過去がありました。しかし、製作上の都合で幼少期を描くことが難しく、刑務所から出てきた主人公の後半生に物語を絞りました。その後も「日本の戦後と、そこに生きた孤児たち」の存在が心に残り、もう一度彼らについて、ゼロから知りたいと思っていたと話します。

戦争孤児というと男の子のイメージが強いですが、資料によると女の子も過酷な境遇だったといいます。思春期の女の子は新鮮な題材だったため、女性2人の視点から描くことを選びました。当初は、琴子と行動をともにする将吉という少年の視点で描くことも考えたそうですが、映画にすることになり、琴子と曽根先生をメインにしました。

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配信ではなく映画にこだわった理由

このテーマを映画として撮らせてくれる会社があるかどうか分からなかったため、配信も選択肢としてありました。配信シリーズならば、2時間を大幅に超える内容も描けますし、映画とは違う広がり方もあります。今や配信の方が多くの人が簡単に見ることができて、地域格差もなくなりつつあります。ただ、西川さんは「映画で育ったので、映画で撮らせてもらえるのなら、そちらに食らいつきます」と語ります。

原案小説は季刊誌で連載企画として先に書き始めていましたが、4割ほど書いたところで中断。映画のシナリオ作りにシフトし、編集終了まで小説は再開しませんでした。映画からほぼ手が離れてから、小説の後半の6割を書き、映画で描き切れなかった部分を重点的に書いています。

琴子役・小八重葵美さんの抜てき理由

琴子役はオーデションで決めました。小八重葵美さんを抜てきした決め手について、西川さんは「目の力と透明感とインパクトが圧倒的でした。一目見て、彼女だと思いました」と話します。オーデションでは、父親と疎開する、しないで言い争うシーンを演じてもらいました。キャリアがあって演技の上手な子もいましたが、琴子が持っている芯の強さや、意思の強さがナチュラルにありました。「何より、『私を撮ってください』という顔をしていたんです。だから、満場一致で決めさせてもらいました」と振り返ります。

他の男の子たちもほとんど映画の経験がなかったそうです。「素晴らしかった」と思えるなら、それは彼らがものすごく頑張ったからで、しつこいくらいリハーサルをして少しずつ積み上げていったといいます。アフレコも助監督さんや録音部さんがみんなで盛り立てながら何度もやり直し、「千本ノックに近かった」と話します。子どもたちは大人が思うよりずっとしなやかでタフで、成長を大事に見守っていけば、大人以上にタフに頑張るということを教えてもらったそうです。

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音楽と戦争の関わり

映画を作るときに最初に思い浮かべたシーンは、「きれいな光の中で2人の女の子がピアノを弾いているところ」とラストシーン。今回は琴子の顔を思い浮かべて、「自分を取り戻していく旅で終わってほしいな」と考えながら作りました。撮影や照明、美術とVFXの技術が合わさって、想像した以上のラストカットになったといいます。

琴子の兄・律朗役の櫻井海音さんがバイオリンを弾くシーンでは、撮影の3か月くらい前から練習していたそうで、バイオリンの先生は「初めてとは思えない」と絶賛したそうです。琴子が絶望の中でアコーディオンを弾くシーンのために、原摩利彦さんに曲を書いてもらいました。音楽は人の心を豊かにするし、人の本質を変えないものです。音楽をはじめとする芸術文化は戦争で機会を奪われやすいため、音楽の素晴らしさを再認識してもらいたくて、いろいろな曲をちりばめたといいます。

トロント国際映画祭出品と子どもたちへの思い

9月に開催される第51回トロント国際映画祭のコンペティション部門への出品が決まり、オープニング上映作品にも選出されました。西川さんは「この映画のために頑張ってきてくれた人たちの努力の結晶をお披露目できるのが、すごくうれしいです」と話します。日本の戦争がどういうことだったのか、その後の社会や人に何がもたらされるのかを海外の方にも見ていただいて、その反応を知りたいと思っていたそうです。

本作を企画したとき、ウクライナやパレスチナで戦争は起こっていませんでした。戦争がこれほど身近になるとは予想外のことで複雑な気持ちですが、作り手は戦争を描くことに萎縮しなくていいと思っているといいます。「あらゆる国の作り手が時代を経ても繰り返しチャレンジしていかないと、戦争が当たり前の世界が続いてしまう気がします。戦争を描くことは重たいことですが、その時代ごとの作り手が果たすべき役割だと思うんです」と語ります。

この映画を一番届けたい相手は子どもたちです。多くの子どもが自分から「行きたい」と思う種類の映画ではないことは承知していますが、「子どもにも見てもらえる戦争の映画」を目指して作りました。大人が見て、「子どもに見せたい」と思ってもらえたらうれしいといいます。戦争直後が舞台ですが、目を覆いたくなるような残酷なシーンや人が血を流すようなシーンは一切省いて、「安全な映画」として描いたそうです。「この映画を見た子どもたちが、戦争のことを少しでも考える時間ができればいい。そのきっかけになれば、うれしいです」と話しました。