JR熊谷駅北口に出ると、勇壮な熊谷次郎直実像が迎えてくれた。商業ビルに囲まれたロータリーの真ん中で、太陽が照りつける夏も、からっ風が吹きすさぶ冬も変わらずたたずむ熊谷市のシンボルだ。「新編武蔵風土記稿」によると、この人の父親が谷で大熊を退治したことから、「熊谷」姓を名乗りだしたという。その谷に行ってみたいと思った。
「熊谷」の由来と伝説の真相
直実に詳しい熊谷市立江南文化財センターの大井教寛所長(52)に聞いたところ、「分かりません。存在するかどうかもあやしい」とのこと。「当時の熊谷に熊が出没することはまずありえないこと。熊退治自体、後付けされた伝説である可能性が高い」
大井所長の見方はこうだ。当時、関東平野を流れる荒川の本流や派川がこのあたりでうねりながら土を削って流れていたことから「曲(くま)谷」、転じて熊谷と呼ばれるようになった。そこに直実という武士が平安時代末期に登場。「後々、熊谷氏に権威を与えるためにそれらしい伝説が加えられたのでは。真相は謎ですが」
直実の出家と歌舞伎の世界
源頼朝から「坂東一の剛の者」とたたえられたとされる直実。「平家物語」での敵方の平敦盛を討つ場面が有名だ。その後、直実は息子と同じ10代半ばの敦盛を討ったことを悔い、出家したと伝えられる。
一方、歌舞伎で今日でも頻繁に上演される「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」では異なる展開となる。直実は、息子を身代わりにして敦盛を逃がすのだ。歌舞伎研究の専門家、早稲田大の児玉竜一教授(58)はこう語る。「歌舞伎には『実はこうだったんだよ』と秘史を明かす役割がある。この物語では、敦盛は実は後白河法皇のご落胤だったという設定。皇位継承者を残さねばとの切迫した状況があった」。我が子を手にかけた直実は世の無常を嘆き、出家する。
出家の経緯の真相は不明で、他に領地争いに疲弊したという説もある。駅から北西に15分ほど歩くと八木橋百貨店が見えてくる。夏場には店舗前に巨大な温度計が設置される。暑い日にテレビ中継で映し出されるのを見た人も多いだろう。出家した直実が修行するお堂を建てたのはすぐそば。彼の胸に去来したものは何だったのか――。想像しながら街をめぐった。
新編武蔵風土記稿と妻沼聖天山
新編武蔵風土記稿は、江戸幕府直轄の教学機関「昌平坂学問所」によって編さんされた地誌。役人が実際に村々を回って土地の言い伝えや古文書を集めるなどして仕上げた文書を基に、約20年がかりで1830年に完成。一般の目に触れることはまれだったが、埼玉県大里郡吉見村冑山(現在の熊谷市)出身の政治家・根岸武香の尽力で84年に出版され、広く存在が知られるように。武蔵国(現在の埼玉県、東京都の大部分、神奈川県の一部)の歴史を調べるにあたって欠かせない史料となっている。
八木橋百貨店から北に向かって20分間ほどバスに揺られると妻沼地域にたどり着く。利根川を挟み、群馬県太田市も近い場所だ。ここには武勇に優れ、義理人情に厚いことで知られた平安時代末期の武士、斎藤別当実盛に由来する仏教寺院「妻沼聖天山」がある。「聖天さま」の愛称で親しまれている「縁結び」で有名な寺院だ。「縁結びといっても男女の恋愛だけではありません。家内安全、学業進学などにおいても『良いご縁にめぐまれますように』と願う方すべてが対象となります」と鈴木英秀副院主(51)はほほえむ。
本殿である「歓喜院聖天堂」は2012年、国宝に指定された。栃木県の日光東照宮をほうふつとさせる極彩色で精巧な彫刻が施されており、「埼玉日光」と称されることも。約40人のボランティアガイドの一人、滝沢茂さん(71)の解説を聞いた。時の権力者の命で造営が進められたのが「日光」なら、地域の住民や農民の寄付によって建てられたのが「聖天さま」だという。「災害などもあり、完成まで44年もかかりました」。庶民の庶民による庶民のための彫刻らしく、遊び心たっぷりなのが魅力。滝沢さんの解説も楽しい。「本殿を支えている猿の彫刻にご注目を。サボって遊んでいる子もいるので見つけてみてください」
ラグビータウン熊谷と雪くま
熊谷駅の方に引き返す途中、熊谷スポーツ文化公園に立ち寄った。19年にラグビーのワールドカップが開催されたラグビー場をはじめ、様々なスポーツの競技場がある施設だ。古くからラグビーが盛んで「ラグビータウン」として知られる熊谷。21年から強豪の埼玉パナソニックワイルドナイツが拠点としており、官民連携による複合施設「さくらオーバルフォート」には、青々とした芝生が美しい練習場やホテル、グッズショップなども。今度はぜひ、試合を見に行きたい。
熊谷を代表するスイーツが「雪くま」。熊谷の水からなる純度の高い「貫目氷」を使った雪のようにふわっとした食感のかき氷で、「雪くまのれん会」に名前を連ねた約30店舗はそれぞれがオリジナルシロップで勝負する。妻沼聖天山近くに本店を構える「茶の西田園」を訪ねた。「茶の専門店であることを生かしたシロップを研究しています」と小林伸光社長(56)。「濃厚抹茶あずきみるく」は香り高い抹茶に優しい甘さのあずきがぴったり。「この辺の年配の方は、かき氷を食べに行くことを『氷を飲みに行く』と表現することがある」と小林社長。なるほど、飲み物のようにあっという間に完食してしまった。西田園では、年間を通して雪くまを販売。ほうじ茶や玄米茶を使ったシロップも人気という。
2018年に当時日本の観測史上最高気温41.1度を記録するなど「暑い」イメージが強い熊谷。市は熱中症など健康被害への配慮から、「暑さ対策日本一」をアピールしている。取材日も相当に暑かったが、妻沼聖天山などで話を聞き、昔も今も変わらない、地域の人々の「熱さ」が何より印象に残った。



