20世紀初頭の米国で国立公園の設立に尽力した日本人移民ジョージ・マサ(1885~1933)の半生が、20年に及ぶ米国人映画監督チームの調査で明らかになってきた。後年、バラク・オバマ大統領(当時)から功績を称えられたこともあるマサの足跡が、ドキュメンタリー映画としてよみがえる。
アパラチアン・トレイルに組み込まれた踏査道
米東部のアパラチア山脈に沿って走る長距離自然歩道「アパラチアン・トレイル」。その南端付近に広がるグレート・スモーキー山脈国立公園は、1920年代、まだ分け入る人も少ない地域だった。当時、山脈東麓のノースカロライナ州アッシュビルに住んでいたジョージ・マサは、山仲間で著作家のホレス・ケップハートとともに足しげく通った。
測量や山岳地図づくり、登山道整備、写真撮影などを通じて大自然の魅力を発信し、米政財界の要人らの目に留まったその活動は1934年、国立公園の指定に結びつく。マサらが踏査した道は、1937年完成のアパラチアン・トレイルにも組み込まれた。
100年以上前の新聞が解き明かした謎
時とともに埋もれかけていたマサの功績に再び光が当たったのは2003年。アッシュビルを拠点とするドキュメンタリー映画監督ポール・ボーンスティール氏(60)が同年公開の映画「The Mystery of George Masa」で、マサの足跡を描いた。一方で、なおも謎に包まれたままだったのが、日本出身のマサが1915年にアッシュビルへやってきた経緯だった。
アッシュビルにあるマサの旧宅に日本語で書かれた大量の手紙が残されているとの情報が、映画公開を機にボーンスティール監督のもとへ寄せられ、約3年前から日本人の協力者も交えた調査が始まった。
手紙が語る「ヤマ」の正体
手紙の一つは便箋十数枚に及び、「ヤマ」という人物が大金を失い、自死を選んだいきさつが克明につづられていた。誰から受け取った手紙なのか。「ヤマ」とは一体、何者なのか。解読と翻訳を進めるうち、調査チームは一つの仮説にたどり着いた。この手紙はジョージ・マサ自身が書き残したのではないか。そして、誰にも送られることなく、手元に残ったものなのではないか。なにより「ヤマ」とはジョージ・マサ本人なのではないか。
手紙の束には当時、米西海岸に拠点を置いていた日本人野球チームのキャプテンだった「宮坂」という人物から受け取った手紙も含まれていた。ワシントン大図書館(ワシントン州シアトル)に所蔵されている当時の新聞を調査チームが掘り起こしたところ、試合結果を報じる記事などに「Yama」「Yam Endo」「Shoji Endo」の名前が見つかった。記事にはユニホーム姿の日本人の写真も添えられ、その顔立ちと、今に残るジョージ・マサの肖像写真が一致した。
さらに外務省の外交史料館(東京都港区)で旅券発給記録をたどったところ、1904年と1906年に「遠藤章二」の名も見つかり、「ヤマ」「ジョージ・マサ」「遠藤章二」は同一人物であることがわかった。調査は今後も続き、謎に包まれた半生の全容解明が期待される。



