坂本花織さん、アイスショーへの苦手意識が変わった理由 荒川静香さんとの対談で語る
坂本花織さん、アイスショー苦手意識が変わった理由を対談で語る

フィギュアスケート女子で2006年トリノ五輪金メダリストの荒川静香さん(44)が主宰するアイスショー「三井住友信託銀行presentsフレンズオンアイス」が今年で20周年を迎える。28~30日の公演(コーセー新横浜スケートセンター)を前に、2月のミラノ・コルティナ五輪銀メダリストで、今回ショーで共演する坂本花織さん(26)と対談した。

プロスケーターという選択肢がなかった時代

引退後、選手時代との違いについて、荒川さんは「競技を終えた後、こんなにスケートを続けると思っていなかった時代。スケートが『職業』になった瞬間から、本当にスケートのために向き合い始めた感覚が大きいかもしれない」と振り返る。

坂本さんは「そのきっかけを作ったのが荒川さんというのは間違いない。そのおかげで、プロスケーターだけでなく、何かしらの形でフィギュアスケートに関わるのが、今はもう当たり前になってきた」と話す。

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荒川さんは当時について「一般的なフィギュアスケーターの引退後の選択肢は就職で、プロとしてアイスショーに携わるという選択肢がほぼない時代だった」と説明した。

苦手だったアイスショーが楽しくなった

坂本さんは高校生の頃、大学3年の時の北京五輪の後、もう1年やって卒業と同時に引退しようと思っていたという。「アイスショーで滑るのは苦手意識があった。小さくて暗いところで滑るのが苦手だった」と明かす。

しかし「年月がたつにつれて、いろんなアイスショーが増えて、自分が出ないショーも見に行ってみたら、すごい面白かった。そこから、やめた後にプロスケーターとしてやるのも悪くないと思った」と変化を語った。

北京五輪の個人戦のフリーが終わった翌日には「4年後もやりたい」と思い、一夜明けの記者会見で「もう4年やります」と言ったという。「その4年でスケートを見せる楽しさがわかった。そうなったら、どんどんショーに出ていくのもすごく楽しくなっていった」と振り返った。

アイスショーが競技に好影響

荒川さんは「以前はアイスショーのマーケットは海外だった。日本で開催される機会が増えて、日本に海外からスケーターが定期的に来るようになった」と指摘。かつては「海外のショーに呼ばれるためには、海外の人に知られているスケーターでないとチャンスはなかった」と話す。

「それまで世界で戦う目標が、あまり現実として捉えられなかった。(日本選手は)誰が出ても、トップ10に入ったら褒められるけど、メダルを取るまではいかないという時代」と振り返り、今のスケーターたちは幼少期から世界を具体的に目標に挙げられるようになったと述べた。

1回限りの「フレンズ」が続いた理由

荒川さんは「続けようと思ってこなかったことだと思う。1回1回、また次の年にできることになった時、その時の最善を全部注ぎ込む。その繰り返しで、そこに賛同してくれるスケーターがいたり、ファンの方がいたりして、それが本当に原動力になって続いてきただけ」と語る。

8、9回ぐらいから「あ、10回行きそうだな」と思い、初めて先を見たという。「続けていけるんだったら、次の世代のスケーターにアイスショーという場所の一つとして、残してあげたいと思った。そういった責任感みたいなものが芽生えた」と明かした。

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今回で20回目を迎えることについて、荒川さんは「あとは誰かがやってくれるんじゃないかと思っている。プロスケーターとしてやりたいのであれば、毎回が勝負ですよね。新しいスケーターがどんどん入ってくる中で、需要が薄れていくのは当然。替えの利かないスケーターというか、また見たいと思ってもらうためにはどうすべきか、ずっと考えてきた」と話し、「毎回毎回が勝負だから」と後輩にも同じ話をしていると明かした。