教師に「音痴なら歌うな」と言われた30歳女性を救ったのは、1200年続く伝統芸能・詩吟だった。その正体に迫るべく、筆者は東京都豊島区にある雑司が谷地域文化創造館を訪れた。
教室は長テーブルとパイプ椅子が並ぶ、学校を思わせる空間。生徒たちと挨拶を交わすと、なぜか筆者はかつてない緊張を覚えていた。流派のある伝統芸能は敷居が高く、暗に「お呼びじゃない」と追い返されるのでは――と覚悟していたのだ。
しかし、その不安はすぐに消え去った。レッスンを担当した旦早流吟詠会の宗嗣(そうし)兼理事長・島田旦桜さんは、非常に柔和な雰囲気の女性だったからだ。
礼節を守ること以外のルールは存在しない
旦早流吟詠会のこだわりは「礼節を守る」こと。それ以外のローカルルールは一切存在しない。にこやかな空気の中、詩吟のレッスンが始まった。
詩吟と聞いて、多くの30代はお笑いコンビ・天津の木村卓寛さんの「エロ詩吟」を連想するかもしれない。筆者もその一人だった。しかし、実際の詩吟はまったく異なるものだった。
詩吟とは、漢詩や和歌などの詩に節をつけ、自身の声で表現する日本の伝統芸能。詩に込められた作者の思いを汲み取り、力強く、あるいは伸びやかに声に出して表現する。
発声練習からはじまった詩吟のレッスン
レッスンは発声練習から始まった。生徒たちは60代から80代が中心で、皆真剣な表情で声を響かせる。島田さんは一人ひとりに丁寧に指導し、間違えても笑顔で励ます。そこには「音痴だから歌うな」というような言葉は一切なかった。
筆者も実際に詩吟を体験させてもらった。初めての挑戦で声が震えたが、島田さんは「上手に出てますよ」と優しく声をかけてくれた。その一言が、かつて音楽の授業で傷ついた心を癒してくれた。
「詩吟は、誰でも楽しめるものです。大切なのは、心を込めて詩を伝えること。技術的な上手さよりも、その人の思いが伝わるかどうかです」と島田さんは語る。
この日、教室には笑顔があふれていた。60代から80代の生徒たちが夢中になる理由が、少しわかった気がした。



