「北海道」の名付け親とされる幕末の探検家、松浦武四郎が奉納し、その後消失していた石標が22日、近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」の舞台でもある大阪市北区の露天神社(つゆのてんじんしゃ、お初天神)に再建された。
再建プロジェクトに取り組んできたのは、武四郎の生誕地である三重県松阪市の有志でつくる石標再建実行委員会。石標の復活を目指して浄財を集めるとともに、いくつかの天満宮に再建を打診。その中で露天神社が快諾し、石標復活の第1号となった。
武四郎の志を継いだ再建プロジェクト
代表を務める元教師の出口孝次さん(69)は「石標を奉納した武四郎の志に近づけたらと思ってプロジェクトを進めてきた」と説明する。
武四郎は明治新政府の蝦夷地政策のナンバー3として、アイヌ民族の立場に立った政策を提言したが聞き入れられず、栄職を投げ捨てた。こうしたことから、失意のうちに大宰府に流された道真に自らを重ね、天神信仰に心を寄せていった。
全国25社に奉納、多くが消失
武四郎は明治10年代に全国の天満宮から25社を「聖跡」として厳選し、石標と銅鏡を奉納。露天神社もそのうちの一つだ。しかし、戦災や災害などで多くが消失し、石標は破損も含めると11社で失われている。
この日は、本殿で約20人が参列して建立奉告祭が厳かに挙行された。社務所脇に建てられた石標の前では除幕お披露目式も行われ、松阪市の竹上真人市長からメッセージが寄せられた。
宮司も喜び、来春には次なる再建も
吉沢克規宮司(73)は「失われていた石標が、道真公と武四郎のご縁によって再び境内に立ったことはありがたい」と喜んだ。
露天神社責任役員の山田貞夫さん(87)は「多くの若い参拝客にも石標を通して、あまり知られていない歴史の一端を知ってもらえたら」と話した。
出口さんによると、来年春ごろには次の石碑が再建される予定という。



