「dancyu」元編集長、両親の介護で見つめた食の尊厳「父の棺に焼きそばを」
dancyu元編集長、両親の介護で見つめた食の尊厳

「おいしいものを食べると笑顔になる、なんて僕も言ってきたけど、それが上っ面な部分にすぎなかったと気づいてしまった」。食の雑誌「dancyu」の元編集長、植野広生さんはそう話す。全国津々浦々の「うまい」を追いかけてきた「食いしん坊」は、両親の介護を通じ、食事は人生の終わりにおける「人間の尊厳の最後のよりどころ」と考えるようになった、という。

食べ物の名前が並ぶ目次

介護が必要になった両親を傍らで見守った日々をつづったエッセー「父の棺に焼きそばを」(小学館)を7月に出版した。目次には、「平目のエンガワ」「やじ満のシュウマイ」「インスタントラーメン」と、食べ物の名前が並ぶ。

「うちは本当に食べ物の話ばっかりしている家で、僕も食べることが好きだったので、記憶が食のことばかりになっちゃうんです」

「実践的英才教育」と食文化の継承

新聞記者から転身し、焼きそば屋を継いだ父は、酒食に目がなかった。余命宣告された日には「浦霞(うらかすみ) 越乃寒梅(こしのかんばい) 四季桜(しきさくら) 大那(だいな) 酔鯨(すいげい) 富乃宝山(とみのほうざん)」と、酒の名前を並べた歌を詠んだほどだ。

植野さんがとくに覚えているのは、父が毎晩のように通っていた近所のすし屋。「今はすし屋というと、高級ずしか回転ずししか話題にならない。でも、昭和の昔には、町のおすし屋さんって、おじさんが井戸端会議をする場でもあり、法事の場でもあり、地域の集会所でもあったんです」。夕食前に植野さんが迎えに行くと、父はハイスツールに座らせ、アジのたたきやコハダといった酒のさかなを味わわせてくれた。

そんな「実践的英才教育」を受けた植野さんは、父を見て「食文化」を守るのは作り手だけではなく、食べる人でもある、と思うようになったという。

「いくらすばらしい料理人がいても食べる人がいないと、途絶えてしまう。江戸の頃のすしなんて、握りも大きいしきっと酢飯もおいしくない。それを変化、進化させてきたのは、食べ手です。単に面白いから、好きだからといって食べる普通の人、うちの父みたいな人間が食文化をつないできたのだと思います」

その父が、90歳を前に胃が…