福岡市の映画評論家、矢野寛治さん(77)がエッセー『団塊ボーイの昭和』(弦書房)を刊行した。団塊世代の著者の半生が、時代を彩った数々の映画や歌などの思い出とともにつづられ、一つの昭和が鮮やかに描き出される。
執筆の背景と意図
矢野さんは「最近、昭和が輝かしい時代だったかのように言われることがあるが、ノスタルジーにすぎないのではないかとの思いがあった」と執筆の動機を語る。同書では、貧しかった幼少期や兄の病死など、悲しい出来事も率直に綴られている。
矢野さんは大分県中津市で生まれた。両親は中国大陸から引き揚げた後、駅前で飲み屋を経営。幼い頃は貧しく、5歳の時に一つ上の兄が病死するなど、苦しい経験が多かった。そんな日々を、映画「ゴジラ」や力道山の活躍、美空ひばりの歌声などに励まされて過ごしたという。
印象的なエピソード
脳裏から離れないのが、小学5年時の担任の言葉だ。「おまえたちゃのう、数が多いきのう、大きゅうなったら嫁さんも取り合いなら、死ぬときゃ、棺桶も取り合いぞ」。この言葉で「競争の社会」を意識するようになった。
大学進学で上京した矢野さんは、アングラ演劇やモダンジャズなどに魅せられ、学生運動にも参加。しかし多くの団塊世代がそうだったように、結局は就職。コピーライターとなり、右肩上がりの経済成長の中で、仕事が何よりも面白かったと回想する。
昭和の終わりとバブル崩壊
だが昭和が終わると、バブル経済ははじけた。矢野さんは自嘲を込めて、「所詮、昭和とはオロオロと歩き回る影のようなものだった」と記す。
矢野さんは「個人史ではあるが、同じように貧しく、歌に励まされてきた人たちには、普遍性を持った『昭和』を感じてもらえるのでは」と話している。(右田和孝)



