『協調外交と勢力圏』書評 日露協約の時代を多角的に描く
『協調外交と勢力圏』書評 日露協約の時代を多角的に描く

日露戦争後、日本とロシアはポーツマス講和条約を経て協調路線へと転じた。韓国や満州、モンゴルの権益を分け合い、両国には「例外的な友好の時代」が訪れたとされる。だが、岡部克哉著『協調外交と勢力圏』(慶応義塾大学出版会・7700円)は、こうした一次元的な見方に疑問を投げかける。

「平和は人為的に創られる」という視点

著者は、国と国の関係は「友好」や「敵対」と単純に特徴づけられるものではなく、「平和は人為的に創られる」と説く。利害の対立を調整する日々の努力こそが外交だとし、この視点から1907年から1912年までの3次にわたる日露協約とその前後を追う。

ロシアの未公刊文書に基づく手堅い叙述と、「セキュリティ・ジレンマ」といった国際関係論の用語がかみ合い、大部ながら読みやすい内容となっている。

仮想敵国だった両国の現実

本書が扱う時期、日露の多くの関係者はポーツマス講和条約を一時的な停戦条約とみなしており、両国は仮想敵国であり続けた。それでも「日露戦争をもう一度戦うよりは互いに自制し、妥協点をみつけていく方がましだと考えた」という。

実際、日露の立場には違いが多かった。辛亥革命では、北満州権益に関心をもつロシアは清の分裂をよしとしたが、中国本土に食い込みたい日本は領土的一体性の保持を望んだ。だが、こうした相違があればこそ、両国は紛争回避の工夫を重ねた。第3次日露協約でロシアは、日本が内モンゴル東部に勢力圏をもつとの譲歩をした。数次の日露協約には「紛争管理の枠組み」を設ける狙いが濃厚だった。

帝国主義時代の地球規模の視点

日露協約の時代は帝国主義の時代でもある。西はオスマン帝国、東では清朝を蚕食し、各自の勢力圏の均衡を図った。本書は、オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合(1908年)と日本による韓国併合(1910年)が対をなすと指摘する。地球規模の視点が随所に生かされている。