東京から約290キロ、伊豆諸島の八丈島。ひょうたん型の島の東西には、緑豊かな火山峰がそびえる。八丈富士(標高854メートル)はなだらかな稜線を持ち、三原山(同700メートル)は天然記念物のヘゴシダやスダジイ、タブノキの森に覆われている。黒潮の恵みで年平均気温は18度を超え、山手線内側ほどの面積の島には植物の天敵となる野生動物がいない。森林インストラクターの大類由里子さんは「島の植物は防御のための毒やトゲを捨て去ったようです。真夏でも海風は心地よく、『東京より涼しい』と驚かれます」と話す。
都会から移住し、ガイドに転身
横浜育ちの大類さんが八丈島に初めて降り立ったのは26歳の時。東京から空路で55分の常春の島で、鬱蒼と茂った森を散策するうちに、都会生活ですり減った心が和らいだ。子供の頃のキャンプの記憶が蘇ったのかもしれないという。優しい島民に迎えられ、気付けば島の暮らしになじんでいた。33歳でネイチャーガイドに転身し、ガイド仲間と結婚。自然ガイドサービス「しいのき」の代表となった。
海と森のエコツアー
八丈ブルーの海でシュノーケリングをすれば、人懐こいアオウミガメが近寄ってくる。三原山のトレッキングは頂上を目指すのではなく、寄り道しながらゆっくり歩き、足元の小さなキノコやコケを観察する。「森を支える小さな存在にも気づいてほしいから」と大類さんは言う。
自然の厳しさと助け合い
優しいだけではない。自然は時に厳しい。昨年10月の台風では大きな被害が出たが、大類さんは仲間とともに助け合い、強風でなぎ倒された倒木をチェーンソーで切断し、登山道を開通させた。
大類さんは、島の自然や歴史、文化を理解してもらい、未来につなげるエコツーリズムを目指す。八丈島は人情豊かな「情け島」。優しさに恩返しがしたいと心に決めている。
八丈島の歴史と文化
豊臣秀吉の五大老だった宇喜多秀家は関ヶ原の戦いに敗れて八丈島へ流され、83歳で亡くなるまでの約50年を島で過ごした。江戸時代には1900人が島に送られたが、流人たちは島民に迎え入れられ、黄八丈や八丈太鼓、島寿司などの文化に貢献した。
大類さんのガイドは、ベルトラの「日本を紐解く旅」で申し込める。(月刊「旅行読売」2026年9月号から)



