ジョン・カビラの父・川平朝清が台湾で見た戦争:将校の本音、台北大空襲、卒業証書の但し書き、そして沖縄への引き揚げ
ジョン・カビラの父・川平朝清が台湾で見た戦争:将校の本音、台北大空襲、卒業証書の但し書き、そして沖縄への引き揚げ

ラジオパーソナリティのジョン・カビラさんの父、川平朝清さんは、かつて台湾で日本統治時代の教育を受け、戦争の終わりを現地で迎えた。ある将校は訓練の場で「お前たちのような弱兵の力を借りなくても、この戦争は勝つ!」と言い放ったが、解散後にそばへ来て「お前たちを飛ばせる飛行機は、もうないんだ」と小声で打ち明けたという。朝清さんはその言葉で、戦局が最終段階に入ったことを悟った。

1945年5月31日、現在の中正紀念堂がある場所の練兵場で新兵器の訓練を受けていた時、米軍のB24爆撃機による空襲に遭った。いわゆる台北大空襲である。総督府(現在の総統府)をはじめ、「城内」と呼ばれた市中心部の約3分の1が焼失し、市街地は壊滅的な被害を受けた。この空襲では長兄・朝申さんの妻と妻の妹2人が、軍司令部の防空壕で直撃弾を受け、3人とも亡くなった。死傷者は約3000人に上ったとされる。

敗戦を告げられ「正直、ホッとした」

やがて山中にいた朝清さんたちは中隊長から「戦争は負けたぞ」と敗戦を告げられた。朝清さんは本書で「正直、ホッとした」と振り返っている。学校へ戻れる喜びも込み上げてきたといい、除隊後はすぐに授業が再開され、先生たちも戻ってきた。

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しかし、ほどなく台北高等学校は中華民国台湾省行政長官公署教育処(当時)の管理下に置かれ、日本人による学校運営は終わりを迎える。それでも学校側は日本人学生が学業を続けられるよう最後まで尽力した。卒業証書には「この卒業証書は昭和二十一年三月末、学業を完了したことをもって有効となる。」という但し書きが添えられていた。朝清さんは、学校が接収される前に何とか卒業証書を渡そうとした下川履信校長の心遣いではなかったかと本書で述べている。

終戦の翌1946年から日本への引き揚げが始まったが、沖縄出身の川平一家はすぐに引き揚げ船へ乗ることはできなかった。米軍の上陸で壊滅的な被害を受けた沖縄には、多くの引き揚げ者を一度に受け入れる余力がなかったからだ。同級生が一人また一人と日本へ引き揚げていく姿を見送りながら、朝清さんは大きな寂しさを感じていた。

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