秋篠宮ご夫妻は18日夜、日本人の移住から90周年を迎えた南米パラグアイに向けて出発された。現地では約1万人の日系人が暮らす。移住後に自動車販売で成功し、私立学校の運営に私財を投じてきた実業家は、日系人に寄せる皇室の特別な計らいに感謝している。
トヨトシ・ナオユキ氏の歩み
パラグアイで日本車販売などを手がける「トヨトシ・グループ」創業者のトヨトシ・ナオユキさん(90)は、1960年2月、23歳の時にスペイン語の参考書を手にアルゼンチンへ渡った。9歳で終戦を迎え、疎開先の神奈川県で進駐軍の豊かさに触れ、外国に憧れた。米国留学は奨学金を得るのが難しいと、南米を選んだ。学生時代、日系人の会合で知り合った日系アルゼンチン人に「雇ってほしい」と手紙を送り続け、2年後に認められて海運会社を退職。日本製おもちゃの営業でアルゼンチン各地を巡った。国境近くでの仕事の途中、偶然見かけた水上飛行機でパラグアイに渡り、人々の親切さにひかれて移住した。
事業は苦労の連続だった。無名だった日本車を買ってもらおうと家々を一軒ずつ回り、少しずつ売れるようになると顧客に割賦代金を払ってもらうのに苦心した。80年代には金融危機に見舞われたが、「約束は破らない」という信条を貫き、借金は必ず返した。自動車販売から車用革シートの製造、携帯電話事業、牧場経営なども展開し、国を代表する一大グループを築いた。
教育への貢献と皇室との関わり
トヨトシさんが「パラグアイへの恩返しに」と力を注いできたのが次世代の教育だ。首都アスンシオンに2001年、スペイン語と日本語が学べる幼小中高一貫校「日本パラグアイ学院」を設立。勤勉で実直な日本人の価値観に基づく教育が特徴で、教員の確保や設備充実のため、トヨトシさんは身銭を切ってきた。
2009年からは8年近く駐日パラグアイ大使を務め、在位中の上皇ご夫妻にお茶に招かれたことがある。ご夫妻は移住者の暮らしぶりを気にかけ、よく質問された。大使時代、他国の大使から「なぜパラグアイはそんなに皇室との関係が近いのか」と言われたという。トヨトシさんは「本当にありがたい。ご夫妻の訪問を機に、もっともっと近い関係になるといいですね」と話す。
移住の歴史と皇室の思い
1936年に始まったパラグアイへの日本人の移住は、戦後の50年代後半以降に本格化した。移住者は原生林を開墾して農業開発に貢献し、特に大豆では生産技術を確立し、パラグアイを世界有数の大豆輸出国に押し上げた。皇室はこうした移住者の生活を案じてきた。上皇ご夫妻が78年に訪問されて以降、常陸宮ご夫妻、秋篠宮さま、長女の小室眞子さんが訪れて交流を重ねた。
秋篠宮ご一家は日本パラグアイ学院の生徒が研修旅行で来日するたび、宮邸などに招いて面会されている。生徒らは感謝の気持ちを込め、毎年、手作りのカレンダーを送り届けている。秋篠宮さまは13日の記者会見で「大変身近な国。困難を乗り越え、日本との友好の架け橋となってきた日系の人たちに敬意を表したい」と述べられた。
トヨトシさんの次男で駐日パラグアイ大使を務めるマリオ・トヨトシさん(54)は、ご夫妻の訪問について「異国の地で苦労を重ねた(日系移民の)1世は、皇室の方々を心のよりどころとしてきた。高齢だが健在で訪問を待ちわびている。その姿を見て育った2世、3世が集う大切な場にもなる」と語った。



