ロジャー・フェデラー氏が明かす「2ポイントに1つは落としていた」事実 勝負どころを見極めるデータ活用
ロジャー・フェデラー氏が明かす「2ポイントに1つは落としていた」事実

2026年5月、スペイン・マドリードで開催された「SAP Sapphire Madrid in 2026」に、テニス界のレジェンド、ロジャー・フェデラー氏が登壇した。SAPのマノス・ラプトロス氏(APAC・中東・アフリカ カスタマーサクセス担当グローバルプレジデント)との対談で、フェデラー氏は驚くべき事実を明かした。それは、自身がプレーした全ポイントの勝率がわずか54%だったというものだ。この数字は、一見すると低く感じられるが、テニス特有の得点システムを考慮すると、勝負どころを見極めることの重要性を示している。

フェデラー氏のキャリアと勝利の哲学

フェデラー氏は41歳で引退するまで、世界ランキング1位を237週連続で維持し、グランドスラム優勝回数は20勝。2026年には国際テニス殿堂入りも決定している。その偉大なキャリアの裏には、単なる才能ではなく、緻密な戦略と自己管理があった。対談の冒頭で、フェデラー氏は自身のプレースタイルについて「冷静さと正確さで語られることが多い。その優雅さから『マエストロ』、正確さから『フェデックス』(配送会社のFedExとかけたあだ名)と呼ばれてきた」と振り返った。

しかし、そのスタイルは最初から確立されていたわけではない。フェデラー氏は少年時代、「自分がここまで達成できるとは全く思っていなかった」と語る。テニスに没頭して結果が出始めると、単なる「楽しさ」が勝利を求められる「真剣さ」へと変わり、重圧に直面することになった。当時の心境を「刺激的ではあるが、とてもつらいプレッシャーでもあり、時に憂鬱になることもある。負ければ負けたで、うまく乗り越えなければならない」と振り返る。この過酷な精神状態を断ち切り、成功を手繰り寄せる鍵として、同氏が挙げたのが「全力を尽くす」ことと「素早く学ぶ」という姿勢だ。

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「スーパーパワー」としての冷静さとデータ活用

「自分の『スーパーパワー』は、混乱やストレスの中でも冷静さを保ち、非常にクリアに、明確に考えられることだと思う」と語るフェデラー氏。この冷静さは後天的に体得したものだという。「皆さんは、フェデラーはコートで『禅』のように振る舞うイメージを持っているかもしれない。だが、21歳ごろまでの私は感情の起伏が激しく、よく泣いていた。完璧主義を目指しては失敗し、言い訳を探していた」と振り返る。

転機となったのは、キャリア初期の幾つかの教訓だ。ジュニア時代の絶好調のときの敗戦からは「物事がうまくいっている時こそ、何を改善できるか自問する」ことを学んだ。また、試合中にラケットをたたきつけてしまった経験から「振る舞い方を変えれば結果もついてくる」ことを体感し、コーチとの突然の別れを機に、本当の意味でプロとしての覚悟が決まった。「幸運にも、キャリアの途中で素晴らしい人々に恵まれ、適切なタイミングで適切なことを教えてもらえた。これが成功を収めることができた大きな理由の一つだと思う」とフェデラー氏は振り返る。

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頂点に立ち続ける難しさ——徹底した努力とセルフマネジメント

頂点に上り詰めたフェデラー氏は、当時の心境の変化をこう語る。「1位に到達するまでは、あらゆる要素が手探りで未知の世界だった。だが、いざ頂点に立つと、それまで積み重ねてきた取り組みこそが最適解だったと確信できた。それはまるで、深い霧が晴れて目の前に青空が広がるような感覚だった」。しかし、そこで気を緩めなかったことこそが、その後の持続的な成功をもたらす鍵となった。「頂点は風当たりが強い場所だからこそ、人一倍の努力を注ぎ続けなければならない。ライバルたちは常に、その座から自分を引きずり下ろそうとしているのだから」と同氏は語る。

その一環として大切にしたのが、徹底した取捨選択だ。「スポンサーや取材など、あらゆる機会が舞い込んでくる。だが、あえてそれら全てに飛びつかないようにした。すぐに気が散って(本業がおろそかに)しまうからだ」。また、同氏が実践してきた「権限委譲」と「当事者意識」のバランスからも得られる示唆は多い。プロ転向後、かつて「上司」だったコーチの給料を自分が支払う側になり、立場が逆転した際のマインドセットを次のように語る。

「プロになる前は私を指導する立場だったコーチが、プロになって実質的に私が雇う側(上司)になった。それでも、コーチは相変わらず私に指示を出し続ける。たとえ自分が雇用主であっても、相手の指示を謙虚に受け入れる姿勢が不可欠だ」。テニスは個人競技だが、トップに近づくほど選手を支える専門家チームは肥大化していく。全てをチーム任せにする選手が多い中、同氏は「最終的に責任を負うのは、サインをする自分自身だ」というコーチからのアドバイスを機に、契約や財務といったビジネス領域にも主体的に関与する方針を採った。専門家に実務を委ねつつも、最終決定権を持つ者としての当事者意識は決して手放さない。同氏は引退まで、このバランスを保ち続けた。

データの「毒」と「感覚」——データに支配されないための意思決定

話はデータ活用にも及んだ。ここでフェデラー氏はまず、ある意外な数字を明かした。「キャリアを通じて試合の80%に勝ってきたが、実際にプレーした全ポイントのうち、自分が獲得した勝率は54%だった」。一見矛盾しているようだが、これはテニス特有の得点システムがあって成立する数字だ。テニスは「ポイント」「ゲーム」「セット」を積み重ねて勝敗を決める階層構造のスポーツだ。1球ごとの勝敗(ポイント)を単純に積み上げた合計で勝敗が決まるわけではない。極端に言えば、あるゲームで1ポイントも取れずに落としても、それは「1ゲームを失った」という記録が残るだけで、そのマイナスが次のゲームに持ち越されることはない。

計算上、フェデラー氏はほぼ「2ポイントに1つ」を落としていたことになる。それでも彼が勝ち続けられたのは、ここぞという勝負どころを確実に制し、それ以外の局面での細かな取りこぼしを冷静に受け流してきたからだ。「『一体どうやったらそんな数字で俺のようなキャリアを築けるんだ』と誰もが不思議に思うだろう」と笑いながら、フェデラー氏は同じ数字も見方次第だと語る。「『2ポイントに1つは基本的に負けていた』と言うとネガティブに聞こえる。だが、『2ポイントに1つは自分が勝てる』という前向きな捉え方もできる」。重要なのは「全てのポイントに同じ強度で臨む必要はない」という考え方だ。フェデラー氏はライバルのラファエル・ナダル氏と自身の違いをこう表現する。「もしラファ(ナダル氏)に『あなたはどうやって全てのポイントをプレーしたのか』と聞けば、彼は『全てのポイントを同じ強度でプレーした』と答えるだろう。私はそうではなかった。40-0でリードしていれば、少しリスクを取って幾つか試してみようと考えてプレーしていた」。その一方で、勝負どころの見極めには常に神経を研ぎ澄ませていたという。「大事な局面はいつか必ずくる。だからこそ、今この瞬間から、その時のための準備を進めておく」と自身のアプローチを説明した。

この「大事な局面の見極め」を象徴するエピソードとして、フェデラー氏は2017年全豪オープン決勝を振り返った。故障からの復帰直後だった当時、対ナダル戦の統計を徹底的に頭に入れていたと明かす。「彼が若い頃は、90%の確率で私のバックハンド側にサーブを打つ傾向があることを把握していた」。だがナダル氏は経験を重ねる中でプレースタイルを変化させ、統計上の傾向も変化していたという。「より強く、より良いサーバーになり、より攻撃的になった。当然、統計も変わっていた」。それを頭に入れて臨んだ決勝の第5セット。4-3とリードして迎えたナダル氏のサービスゲーム。15-40というダブルブレークポイントの有名な場面だ。フェデラー氏は、蓄積した統計データを瞬時に想起したという。「まるでマトリックスのように、あらゆる数字が頭の中を駆け巡っていた。これは今の新しいラファなのか、それとも以前のラファなのかを判断しようとしていた」。その結果、「新しいバージョンのラファだ」と判断してポジションを変えた。読みは的中し、ポイントを取った。この経験を振り返りつつ、フェデラー氏は統計やデータに振り回されることへの警鐘も鳴らした。「どの数字を取り入れ、どの数字はむしろ知らない方がいいのか、非常に厳密に見極める必要がある。そうしないとロボットのようになってしまう」。判断そのものの質については、こう語る。「テニスに限ったことではなく人生全般に言えることだが、迷った状態のまま決断を下すのはよくない。だからこそ、われわれはむしろ、自信を持って『間違った』選択をする方を選ぶのだ」。迷いながら打ったショットは中途半端になり、結果が尻目に出やすい。「正解かどうか分からない」まま動くくらいなら、「今この瞬間、自分はこれが正解だと信じる」という状態を作ってから動く方がパフォーマンスは良くなるという。「私は自分の選択や判断を大切にしてきた。少なくとも、その決断を下した瞬間には、それが正しい選択のように感じられた。結果的に間違っていたとしても、その時はそれが正しいと感じられた。だから後悔はない」。

ライバルの存在が人を、企業を強くする

フェデラー氏のキャリアを語る上で欠かせないのが、ナダル氏やノバク・ジョコビッチ氏との激しいライバル関係だ。だが、コート上での競争がそのまま「敵対」に転じることはなく、むしろ互いを高め合う関係として機能していたとフェデラー氏は語る。コート上では意見や振る舞いが衝突する場面もあったと認めつつ、根底にある敬意は揺るがなかったという。「コートで火花を散らしても、毎週顔を合わせる仲間だから、外見きにはいつも友好的だった」とフェデラー氏。自身にとって最大のライバルは誰かと問われると、迷わずナダル氏の名前を挙げた。左利き・両手打ちバックハンドで守備型のプレースタイルを持つナダル氏は、右利き・片手打ちバックハンドで攻撃型の自身とは対照的な存在であり、「その違いこそが名勝負を生み出した」と話す。「私たちは性格も違う。私はどちらかというと攻撃的なテニスをプレーし、彼はどちらかというと守備的で多くのショットを拾うタイプだった。だからこそ、私にとって彼は間違いなく最も対戦が難しい選手だった」。なお、対ナダル、対ジョコビッチの通算対戦成績については「実は負け越している」と明かした。「上に行けば行くほど、自分を引き上げてくれる存在、自分の価値を問い直してくれるライバルが必要だと気づいた。私は彼らのおかげでより良い選手になれたと思うし、おそらく人間としてもより良くなれたと思う」。フェデラー氏がそう話すと、SAPのラプトロス氏も「われわれの業界もそうありたい」とうなずいた。

小さな成功を積むこと、休憩と切り替えの重要性

セッションの終盤、フェデラー氏は次世代のアスリートやビジネスパーソンへのメッセージとして、意外にも「効率化」や「勝ち続ける方法論」ではなく、立ち止まることの大切さを語った。「テニス選手は、多くのアスリートと同じように、常に『ハムスターの回し車』の中にいる。次から次へと試合があり、目標に向かって駆り立てられる状態にある」とフェデラー氏。だからこそ「小さな勝利を祝うことは大事だ。私たちは、その道のりの途中で得られる小さな成功を、十分に評価していないと思う」と強調した。この状態から甲斐性出すために大切にしていたのが「休憩」だという。「休憩を取ることを大切にしていた。休憩があると分かっていれば——それが午後の2時間だったり、30分だったり、たった5分間だったとしても——その瞬間まで力を出し切ることができるから」。精神面の切り替えの重要性にも触れた。2008年ウィンブルドン決勝でナダル氏に敗れた際を、こう振り返る。「帰宅して、子どもたちに手を引かれてベッドに5分間横になった。天井を見つめてから、何もなかったかのように父親の顔に戻ることができた。試合が終わると、まるで何もなかったかのように振る舞う。子どもにとって私は父親であり、友人にとっては友人。とても素早く気持ちを切り替えることができ、自分自身を孤立させることもなかった」。「人生は短い。いつまでも引きずっている場合ではない」とフェデラー氏は話す。情熱を持ち続けること、成長、選択と集中、データとの付き合い方、競合との向き合い方、休憩、そして気持ちの切り替え——常に成果を追い求め続ける現代のビジネスパーソンにとって、フェデラー氏がテニスを通じて実践してきたことから学ぶところは多い。