量子コンピュータで核融合材料FLiBeの分子構造計算、トリチウム抽出効率化へ
量子コンピュータで核融合材料FLiBeの分子構造計算

量子コンピュータで核融合材料「FLiBe」の分子構造計算に成功

オークリッジ国立研究所(ORNL)、クリーブランド・クリニック、IBMの研究チームは、核融合炉で用いられるブランケット材料候補である溶融塩「FLiBe」(フッ素、リチウム、ベリリウムを含む)について、量子コンピュータを用いた分子構造計算を実施したことを発表した。この成果は、arXivに公開された論文「Quantum Computations on Fusion Blanket Molten Salts」で示されたもので、FLiBeの9種類のクラスター構造を対象に、トリチウム(三重水素)の有無によるエネルギーや結合状態を計算した。

核融合炉におけるトリチウム生成の課題

FLiBeは、核融合炉においてトリチウムを生成・回収するブランケット材料の有力候補とされる。核融合炉では、重水素とトリチウムを高温プラズマ中で融合させることでエネルギーを取り出す方式が広く検討されているが、トリチウムは自然界にほとんど存在しないため、将来の核融合発電所では運転中に自らトリチウムを生成し回収する仕組みが求められる。IBMによると、1GW級の核融合発電所では1日に約1ポンドのトリチウムを消費する可能性がある一方、現在の世界全体のトリチウム生産量は年間で数ポンド程度にとどまるという。つまり、核融合発電の継続運転には、炉内でトリチウムを安定的に生み出し、効率よく取り出す技術が不可欠となる。

トリチウムの化学状態が抽出効率を左右

FLiBeを用いたブランケットでは、核融合反応で生じた中性子がリチウムに衝突することでトリチウムを生成する。ベリリウムは中性子を増倍する役割を持ち、フッ素とリチウムは高温環境でも安定して液体状態を保つ塩を形成する。ただし、ブランケット材料は単にトリチウムを生成すればよいわけではない。生成されたトリチウムがどのような化学状態を取り、どの程度材料中に結合するかによって、回収のしやすさが変わってくる。例えば、トリチウムがフッ素と強く結合してトリチウムフッ化物を形成すると、腐食性が高く回収が難しくなる。一方、気体として分離しやすい形で存在すれば、抽出は容易になる。

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量子・古典ハイブリッド計算のアプローチ

今回の研究では、ab initio分子動力学計算から抽出したFLiBeクラスターを、埋め込み波動関数法(EWF)により原子中心のフラグメントへ分割し、そのうち最も複雑なフラグメントをIBMの量子ハードウェア上で拡張サンプルベース量子対角化(ext-SQD)により解いた。論文によると、9つのクラスターに対する量子・古典ハイブリッドワークフローは、フラグメントの基底状態エネルギーについて、フルCIとの比較で0.7kcal/mol以内の一致を示し、平均絶対偏差は0.3kcal/molであったという。一方で、フラグメント化された系と非フラグメント化系の構造エネルギー差やトリチウム結合エネルギーには、それぞれ平均12kcal/mol、110kcal/molの差が確認された。研究チームはこの結果から、現時点での主なアルゴリズム上のバイアスは、量子コンピュータによるフラグメント解法そのものではなく、フラグメントの構成方法にあると分析している。

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DFTの限界を量子計算で補完

従来、材料や分子の電子状態計算では密度汎関数理論(DFT)が広く用いられてきた。DFTは高速で実用的な手法だが、溶融塩のように強い相関や複雑な電荷・分極効果を持つ系では、自由エネルギーや結合状態の予測精度に限界がある。ORNLの研究グループによる過去の検討では、FLiBeの自由エネルギーについてDFTでは最大10%程度の誤差が生じ得ることが示されたという。トリチウムが腐食性の高い化合物として固定されるのか、それとも気体として分離しやすい形で存在するのかを判断するには、この誤差は大きすぎるため、精度としては不十分と考えられてきた。量子コンピュータは、電子の量子的な振る舞いを直接的に扱える可能性を持つため、DFTや古典HPCでは精度が不足する部分を補完する計算資源として期待されている。今回の研究は、量子コンピュータ単独ですべてを計算するものではなく、CPU、GPU、QPUを組み合わせ、それぞれが得意な部分を担う量子中心スーパーコンピューティングの考え方に基づく。

小規模クラスターから大規模材料設計へ

今回の計算で対象となったFLiBeクラスターは、それぞれ21イオン程度の小規模な構造である。実際の核融合炉ブランケットは、厚さ1m規模の大量の溶融塩であり、粒子数は桁違いに大きい。そのため、今回の成果だけで実炉条件下のFLiBe挙動を直接予測できるわけではないが、研究チームは今回の成果を、より大きなワークフローに向けた第一歩と位置付けている。今後は、21イオンを超えるより大きなクラスターへ計算規模を拡大するとともに、自由エネルギー評価に必要となる数百規模のコンフィギュレーションを扱えるようにすることを目指す。

AI、HPC、量子を組み合わせた材料探索ループ

IBMは、長期的な目標として、AIエージェント、スーパーコンピュータ、量子コンピュータを組み合わせた3段階の材料探索ループを想定している。第1段階では、AIエージェントがORNLに蓄積された70年分の溶融塩研究データベースなどを活用し、候補となる溶融塩を提案・スクリーニング。候補材料について、中性子工学計算によりトリチウム増殖比や熱輸送特性などを評価する。第2段階では、有望な材料候補について、スーパーコンピュータを用いた原子レベルのDFT計算や分子動力学計算を行うが、こうした計算は高コストであるため、AIモデルを用いて物理挙動を近似し、探索を高速化することも検討されている。第3段階では、DFTの精度が不足する高精度な化学計算、特にトリチウムがどこにどの程度結合するかを評価する領域に量子コンピュータを投入する。今回の論文は、この第3段階の量子計算部分を検証したものといえる。

DOEのジェネシス・ミッションとの連携

今回の研究は、米国エネルギー省(DOE)が進める「ジェネシス・ミッション」の目標とも連動する。同ミッションは、DOE傘下の17の国立研究所にある科学装置、HPC、AI、量子コンピューティングを連携させ、科学的発見を加速することを目指す取り組みである。ORNLのTom Beck氏は、7つのDOE国立研究所、4つの大学、3社の産業パートナー、クリーブランド・クリニックの専門家からなるチームを形成し、溶融塩核融合ブランケット材料におけるトリチウム生成最適化に向けた多面的な発見サイクルに取り組んでいると説明している。IBMは同ミッションの産業協力パートナーの1社として、量子コンピュータをAIやエクサスケールコンピューティングと組み合わせ、核融合炉が十分なトリチウムを生成するために必要な探索・設計プロセスを加速するツールとして位置付けている。

実用的な科学ツールとしての量子コンピュータ

2026年に入ってからIBMは、実在する磁性材料のシミュレーション、半メビウス型分子の創製、1万2635原子規模のタンパク質モデリングなど、量子コンピュータを科学計算に利用する事例を相次いで示してきており、今回の成果は、そうした技術を材料科学へ拡張し、核融合関連システムをより高い精度と効率で探索するものだとしている。IBMでは、量子コンピューティング、AI、古典コンピューティングを融合することが、社会が直面する根本的な科学課題に取り組むうえで不可欠だと説明しているほか、今回の成果は、量子中心スーパーコンピューティングが、化学者、エンジニア、材料科学者を長年悩ませてきた課題に対する実用的な科学ツールになりつつあることを示す新たな証拠だとしている。

核融合材料設計の計算基盤構築へ

核融合発電の実用化には、プラズマ制御、炉材料、超電導磁石、熱交換、燃料サイクルなど多くの技術課題が残されている。その中でも、トリチウムをどのように生成し、どのように回収するかは、発電所として自立運転するうえで不可欠な課題となる。今回の量子計算は、その課題に対する直接的な解答ではないものの、FLiBeのような候補材料について、分子レベルでトリチウムとの相互作用を高精度に評価する道筋を示した点に意義がある。今後、量子コンピュータの規模拡大、エラー低減、量子・古典間のデータ連携高速化、AIによる候補材料探索などが進めば、核融合炉向けブランケット材料の設計・検証を計算機上で進められる可能性が高まる。ORNL、クリーブランド・クリニック、IBMの今回の成果は、量子コンピュータが将来の核融合エネルギー開発における材料探索基盤の一部となり得ることを示すものになる。