工場で「色を作る」仕事:粉から生まれる世界の色彩と職人技
工場で「色を作る」仕事:粉から生まれる色彩と職人技

世の中には星の数ほどの仕事が存在する。その中で実際に起きた出来事や、誰かの忘れられないエピソードを短い小説に仕立てる連載。今回は、工場に勤務する糸崎さん(仮名・45歳)が語る、色を作る仕事の世界をお届けする。

第1話 工場勤務「色を作る人」

※画像はイメージです。

僕がその工場に入ったのは20代半ばのことだった。前の会社では営業を担当していたが、そこは消防署に卸す資材を販売する会社で、ガソリンの近くで作業中に先輩が背後でタバコを吸い始めるという、天然なのかスリル満点のいじめなのか分からない環境だった。4ヶ月で見切りをつけ、新しい仕事を探した末に見つけたのが今の職場だ。

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ただ、その工場で何を作っているかはよく知らなかった。募集要項には「監視業務」とあり、見ているだけでいいなら自分にもできると思えた。ラクそうで、地元では名の通った企業、給料もそこそこだったため、深く考えずに入社を決めた。

入ってみて分かったこと

そこは「色」を作る工場だった。正確に言えば、作るのは「色の粉」だ。それを溶かしてペンキにしたり、プラスチックやガラスに練り込んで色付けしたりする、いわば「色の素」のようなものだ。また、ファンデーションや口紅などの化粧品に含まれるキラキラ光る粉(ラメより小さいもの)や、お札の表面に付いている偽造防止用の特殊インキに混ぜる粉も、僕の会社で作っている。どれもよく見ないと気づかないマニアックなものばかりだ。

最初の仕事:粉の加工

入社後、最初に担当したのは粉を加工する作業だった。工場の倉庫には色の素になる粉が山積みされており、それを水に溶かして液体にし、薬品を加えて混ぜ、乾かすと水に溶けない粉に変化する。細かい化学反応の理屈は分からないが、不思議とそうなるのだ。その部署では、粉を水に溶かす人と液体を粉に戻す人が2ラインあり、合計4人でチームを組んでいた。作業は単純で、大きなタンクの液体を別のタンクに移したり、薬品を調合したりする繰り返しですぐに慣れた。

仕事に面白みはなかったが、工場にはキャラの濃い人が多く、人の部分では面白かった。3交代制の工場には、マイペースというかクセが強いというか、煮詰めたらアクしか出てこないような人がたくさんいた。

個性豊かな同僚たち

※画像はイメージです。

例えば、ある人は自分の勤勉さをアピールしたいのか、自分の作業が早く終わると外に出て草むしりを始める。草むしり自体は悪くないが、彼の独特なところは深夜2時でも3時でもその習慣を貫くことだ。街灯に照らされて真夜中に草むしりする姿は異様で、そうしたシーンに出くわすたびに僕はそっとブラインドを下ろした。また、段ボールを潰すとき、毎回正拳突きで潰す人もいた。彼は一世風靡セピアの「前略、道の上より」のように「セイヤセイヤ!」と掛け声を出しながら段ボールを潰すのだ。毎回、必ず。

そんな風変わりな社員があと2人いて、彼らは工場内で「四天王」と呼ばれていた。毎年11月に配置転換があり、その時期になると四天王と同じ班になった人は頭を抱え、一緒にならなかった人は胸をなでおろすという光景が繰り広げられた。

花形部署での10年

僕はその後いろんな部署を回ったが、一番長く携わったのは色を作る作業だった。色の粉を加工する以前の、ベースとなる粉を作る仕事。それはこの工場で最も上流にあたる花形部署で、そこで10年近く働いた。

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作業内容はこうだ。まず、海外から輸入された鉱物の一部のような材料がある。それは魚の鱗のような形をしており、大量に袋に入っている。それをすりつぶして粉にし、水に溶かす。大きなタンクに入れた液体に特定の薬品を混ぜていくと、不思議なことに白くなったり赤くなったり色が現れる。それをちょうどいいところで止め、乾燥させれば「色の素」の完成だ。

昔の喫茶店のカウンター横にあった、ぐるぐるジュースをかき混ぜるケースのような感じで、液体を攪拌するタンクに薬品を入れ続けると色が徐々に変化する。緑、黄色、青、白……それを一定のところで止める。日によって「今日は赤のプラス1」とか「赤のマイナス1」と細かく決められており、タンクに注がれる薬品を「ここだ!」と見極めて止めるのが僕の役割だった。

止める時間は色によって全て異なる。過去のデータから「この色は6時間くらいでできる」「これは17時間」と分かっているが、鉱物の種類やpHの値で変動するため気が抜けない。目指す色に近づいてきたら液体の状態に注目し、微妙な変化を見ながら「そろそろか……いや、まだまだ……もうすぐ……ここだ!」と機械を止める。翌日には結果が出て、一喜一憂する。思った通りの色が作れたら嬉しいし、外れたら悔しい。

これは大変だが、やりがいのある仕事だった。色を作る仕事ができるのは工場で10人ほど。選ばれし者たちだ。面白いのは、みんな得意な色が違うこと。人によって緑が見づらかったり黄色が苦手だったりとさまざまだ。僕が得意なのは青で、青であれば「赤みが強い青」や「黄みが強い青」を細かく識別できる。逆に緑は違いがよく分からず苦手だった。

職業病としての色へのこだわり

※画像はイメージです。

今は色を作る仕事から離れて管理職をしているが、色のことは常に気になっている。時間があるとドラッグストアに行き、化粧品コーナーをチェックしてしまう。ファンデーションやマスカラに使われているパール顔料を観察する。おじさんがジロジロ化粧品を見ている姿は傍から見たら異様かもしれないが、職業病なのだ。自分の作った色がこう使われ、世界に広がっていると思うと、自尊心がくすぐられて嬉しくなる。

みなさんが仕事の中で経験した不思議な話、忘れられない出来事、心に残っている人物を教えてください。こちらのフォームから「あなたの話を小説にしますへ応募」としてエピソードの概略をお送りください。当選者の方に取材をさせてもらい、小説に仕上げます。ぜひ、みなさんの大事な記憶をお聞かせください。

清水浩司(しみず こうじ)1971年生まれ、広島県出身。雑誌編集者を経てフリーランスのライター/編集者として独立。川崎フーフ名義で発表した書籍『がんフーフー日記』(小学館)が話題となり、映画『夫婦フーフー日記』(主演:佐々木蔵之介、永作博美)として公開。『愛と勇気を、分けてくれないか』(小学館)で第9回広島本大賞小説部門、『くらくら西条』(ザメディアジョン)で第15回広島本大賞ノンフィクション部門を受賞。現在noteでスペインのサンティアゴ巡礼旅の記録『ぼんやりした巡礼PRO』連載中(毎週月曜公開)。